2017年3月26日日曜日

私のつづりかた


 小沢信男 『私のつづりかた 銀座育ちのいま・むかし』 筑摩書房 1800円+税
 

 小沢は1927年東京銀座西の生まれ育ち。小学校2年生時代の作文が現存していた。絵もある。80年以上前の小学生の作文に、小さな歴史がある。小沢は当時の記憶を蘇らせながら、世相や歴史を重ねてみる。

「花デンシャ」の作文は、昭和101935)年468日に運行した「満州国皇帝陛下御来朝記念花電車」を家族と見に行ってのこと。

「トホクワイ」は徒歩会、体力向上のための運動、昼食後学校から官庁街をまわり日枝神社をめざす。休憩をはさんで下校時間に学校に戻る。

 課題の作文と自由作文がある。課題では学校行事の「エンソク」もあるが、「海軍記念日」や「慰問文」など戦争の影が濃い。自由作文では、友だちのこと、夏休みの家族旅行、銀座界隈のことなど、当時のまちの様子・風景が読み取れる。

 小沢の父はハイヤー業を営んでいた。露地をはさんで自転車屋、その隣は洋食屋だったが引っ越して、そのあとに本屋ができた。

《父は、毎月の「主婦の友」と「少年倶楽部」を、この店から届けさせていたのかな。事務所の棚には「キング」や「日の出」や、挿絵つきの仏教説話本などもあった。雑誌も本もおおかた総ルビだったので、私は手あたり次第読んでいました。》

 裏通りには、ガソリンスタンド、芸者置屋、金貸し、小料理屋、魚屋……、記憶をもとに当時の地図も再現している。

「ボクハ、ツマラナイノデ、タタミノ、トコロデ、ネコロンデ、ヰルト、オカアサンガ、ソンナニ、タイクツナラ外ヘ、イツテキナサイトイツタ(後略)」

 小沢はこの作文を、人生最初の自由作文、と書く。

《幼い体中に満ちてくるなにかがあって、いっそ畳にぶっ倒れ、じたばたしていたのだな。母親にさえ「ソンナニ、タイクツ」としかみえなくても、当人はそれどころではなかった。だがこの七歳児の気持を、その後に相応の言葉数をおぼえたはずの私が、どれほど代弁できるだろうか。》

 子どもながら言うに言えないものをかかえ、銀座界隈を駆けまわって哲学していたのだ。

(平野)
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