■ 鹿島茂 『神田神保町書肆街考 世界遺産的〝本の街〟の誕生から現在まで』 筑摩書房 4200円+税
神田神保町は世界にも類のない「書物同業者街」(脇村義太郎『東西書肆街考』岩波新書1979年)。
この街はどのようにしてできたのか。長年ここに通い、住み、歩き回ったフランス文学者が「社会・歴史的(ソシオ・イストリック)」に書く。「産業・経済・教育・飲食・住居等々の広いコンテクストの中に置き直して社会発達史的に鳥瞰してみようと構想」した。『ちくま』に長期連載(全70回)、550ページ超。
目次
Ⅰ 神保町という地名 蕃書調所の設立 東京大学の誕生 『当世書生気質』に描かれた神保町
Ⅱ 明治十年前後の古書店 明治二十年代の神保町
Ⅲ 神田の私立大学 漱石と神田 神田の予備校・専門学校
Ⅳ 神田神保町というトポス 中華街としての神田神保町 フレンチ・クォーター お茶の水のニコライ堂
Ⅴ 古書肆街の形成 神田と映画館 神保町の地霊
Ⅵ 戦後の神田神保町 昭和四十~五十年代というターニングポイント
神田神保町は関東大震災で大きな被害を受けたし、それ以前にも大火事で多くの古書店が焼けた。そのたびに復活した。太平洋戦争の空襲は奇跡的に免れた。鹿島は、空襲されたとしても、「無からたくましく立ち直ったのではないか」と考える。理由は本書を読んでください。
そのことは別にして、鹿島は神保町の様子を植草甚一の日記から引いている。空襲下でも、古書店は営業していたし、洋書が数多く売られていた。
古書街が空襲されなかったのは偶然だろうか。何らかの意思が働いたのだろうか。古都が爆撃されなかったような。そんな噂話も紹介されている。古書店の街が次第にサブカル・オタク化してきているらしい。そうなったことも考察。
(平野)
神保町は神田駅が最寄りとずっと思っていた。初めてここに行ったのは社会人になってからで、その時は東京住まいの友人に連れて行ってもらった。40年ほど前。どの電車に乗ったかは覚えていない。だいぶたってひとりで行く時に、出版社の人がお茶の水駅で降りたらいいと教えてくれた。鹿島も高校生の時に初めて来て、神田駅で降りて、古書街にたどり着けなかったと、雑誌で読んだ。
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