2017年12月7日木曜日

日本の詩歌


 大岡信 『日本の詩歌 その骨組みと素肌』 岩波文庫 
640円+税

 1994年、95年にフランスの高等教育機関コレージュ・ド・フランスで、日本古典詩歌と言語・文字など日本文化の特質を講義。単行本は95年講談社より、2005年岩波現代文庫。
 

1 菅原道真 詩人にして政治家
2 紀貫之と「勅撰和歌集」の本質
3 奈良・平安時代の一流女性歌人たち
4 叙景の歌
5 日本の中世歌謡

 
 
 大岡は、「日本の文学・芸術・芸道から風俗・習慣にいたるまでを、根本のところで律してきた和歌というものの不可思議な力、それを出来るだけ具体的にとりあげ、説明してみたい」と、まず、菅原道真の漢詩から始める。
 道真の時代(平安初期)はまだ仮名文字が普及していない。公式文書は漢文、詩は漢詩。「学問の神様」道真は学者で政治家。左遷を経験し右大臣に昇進、最後は太宰府に追放。死後は「怨霊」と恐れられ、祀られた。
 日本人でも彼の詩を知る人は少ないだろう。どんな詩なのか。華やかな宮廷の宴の詩もあるが、友を励ます詩、市井の人々の暮らし、地方での生活、政治腐敗、学者批判など社会的問題も扱う。

……道真の詩、特に讃岐時代の詩や九州太宰府への追放時代の詩は、喜びや哀しみ、怒りや苦しみの表現において、常に具体的に原因と結果を明示する書き方をしており、主体である詩人自身の立場は明確であり、社会事象に対する彼の反応も明確に表現されています。〉

 漢詩と比較して和歌は短い形式、主語も省略される。

〈和歌の表現は、暗示と極端に少ない量の情報によって成り立っています。そこに存在するのは、具体的な事物や事件の精細な描写ではなく、それらと出会った時の、作者の感動の簡潔な表現です。具体的な事実への言及は、感動の表現にとっては必要な範囲で最小限に行われるだけです。〉

 仮名の発明、普及で詩歌は漢詩から和歌に移る。「きわめて短期間にこの劇的変化は成就」した。

〈彼の用いた詩型が中国伝来の漢詩であったことが、この忘却の一つの原因であったことも明らかですが、彼がこのような詩を書きえた理由も、まさに漢詩という形式を使った点にあったのですから、思えば矛盾そのものを生きた詩人でありました。大きな深淵が漢詩と和歌との間には横たわっていたのでした。〉

(平野)