2019年12月12日木曜日

川崎彰彦傑作撰


 『川崎彰彦傑作撰』 同刊行委員会発行 
北海道新聞社出版センター出版協力 1852円+税 2016年刊
装幀・装画 粟津謙太郎
 
 
 

 川崎(19332010年)は群馬県生まれ、作家・詩人。太平洋戦争末期から滋賀県の農村で育つ。早稲田大学露文科で五木寛之、三木卓と文学仲間。作品で五木は「一木宏之」で登場する。北海道新聞社記者時代、「まるい世界」が『新日本文学』の「第3回新日本文学賞短編部門」で佳作(入選は佐木隆三)。67年、新聞社退社、大阪府茨木市在住、大阪文学学校事務局に勤め、講師も担当。同人誌を中心に、私小説を発表。本書は友人たちの協力で川崎の「遺言」を実現。

「函館幻燈記」より。
 敬助(川崎)は記者と組合活動の日々。賃上げ闘争で敗北。組合員の罵声に耐え、小説を書かねば、と思う。雑誌応募作品が佳作に入り、作家としてスタート。文学仲間・一木は少し遅れて作詞家になり、作家デビューし新人賞、さらに直木賞受賞。

〈敬助は『新日本文学』に依頼されて書いた短編小説が二つ続けて没になり、すっかりくさっていた。敬助が報道部に出る決心をしたころ、支社の報道部長だった木瀬さんが「報道に出ると筆が荒れるぞ」といった。その警告が現実のものになってきたようだ。ストーリーテラー一木宏之のめざましい活躍ぶりも知らず識らず作用して、敬助は自分のペースを見失ったようだ。柄にもなくストーリーを追う書き方になっていたのである。/敬助はますます酒びたりになり、宿酔は猛烈だった。すこしまとまった記事だとアルコールの力を借りなくては書けなくなった。(中略)敬助は外界に嫌悪と畏怖をおぼえる度合がはなはだしくなった。ゆえ知れぬ不安感に胸を締めつけられるようだった。幻聴や幻覚が始まらないのが不思議なくらいだった。〉

 敬助は自分の心が弱っていると思った。作家一本での生活を決意する。
 
 川崎は中学時代から同人誌・サークル誌を20あまり作ってきたそう。

……たぶん私は同人雑誌というやつがメシより好きなのだろう。(中略)主宰などではなくて、みずからもドングリの背くらべの作品を発表する編集役にすぎない。〉

(平野)
 12.7 前日は職場の会議の後、労働高齢者忘年会。みんな元気で、呑むこと呑むこと。私も調子に乗ったので、二日酔い。ぼーっと働いていたら、マンション管理人は丸5年も経ってしまった。
 図書館調べ物は、医学者・詩人の木下杢太郎。神戸とどんな関わりかというと、神戸市電開通の時、ちょうど旅行で来ていた。それから結婚相手は神戸のお嬢様。
 12.10 我が家は狭小ゆえ、本の置き場がいよいよピンチ。地下に土間があって、古い本を放り込んである。少しずつ古本屋さんに引き取ってもらって、孫の白身魚になっているのだけれど、そんな悠長なことではラチがあかない。掃除も兼ねて整理、いらないものは捨てて、買ってもらえそうな本は白身魚にして(しつこい)、部屋の本を移動しなければならない。年内にできるかは不明。無理だろう。