2020年8月29日土曜日

詩歌の待ち伏せ


8.25 午前中、歯医者さんから散歩。元町駅で「BIG ISSUE」を買って、鯉川筋~城ヶ口~諏訪山公園・諏訪神社。諏訪山公園金星台に登ったのは30年ぶりくらい。だいぶ荒れている。酷暑だし、コロナ禍のせいもあるだろう。私以外では、ベンチに1人、ジョギング姿の人2人。こどもの国(動物園跡)、神社には誰もいない。麓のグランドには子連れママさんたちや走っている人がいた。帰りは掘割、西へまっすぐ行けば平野。かつて稲垣足穂、今東光、田宮虎彦らも歩いた道。再度筋で南へ下る。元町から家まで山回りで1時間。帰宅後、お茶飲んだとたんに大汗。

8.26 夏休み2日目。
朝日新聞「文芸時評」で小野正嗣が小川洋子のニューヨーク・タイムズ寄稿エッセイ「死者の声を運ぶ小舟」を紹介している。

〈戦争体験者が減少し、記憶の継承が困難になっている。だがそんなときこそ文学が力を発揮すると小川は言う。「文学の言葉を借りてようやく、名前も知らない誰かの痛みに共感できる」と。〉

 小川のエッセイはこちらで。
https://www.nytimes.com/ja/2020/08/06/magazine/atomic-bombings-japan-books-hiroshima-nagasaki.html

 図書館で次回元町原稿を仕上げる。

 同日朝日新聞夕刊に「京都・三月書房」閉店後の記事。
https://news.yahoo.co.jp/articles/49c72f14f63f0219e98f78e4b897c6a87607ed1a

 8.28 日吉ミミはベッドで泣いて涙が耳に入ったそうだ。私は額の汗が目尻に入る。眉毛が役目を果たしていない。本屋時代より労働で汗をかく。福岡さんとメールしていたら、彼は本屋時代の方がきつかったそうだ。責任ある立場だったからなあ。
 首相辞任表明。責任ある立場だが。

 本は、北村薫『詩歌の待ち伏せ』(ちくま文庫)。初版は文藝春秋単行本3冊(200205年)、のち文春文庫3冊シリーズ(200609年)。今回3冊を合本。1冊目だけ読んだ詩歌を紹介するエッセイ、だれもが知る詩人だけではなく、無名の人の歌や子どもの詩も。北村の読書、教養によって、詩から詩、歌から歌に、演劇や古典、ミステリ、時に野球へと繋がっていく。

「はじめに」で石垣りんの詩について。前の文庫版で1行空白にしなければならないところが繋がってしまった。「失われた一行の空白」を今回取り戻せたことを、「それだけでも、生きて来た意味を感じます」と告白する。律儀である。別の章でも、「空白も作品のうち」と書いている。ずっと重荷にしてきたのでしょう。改めてことばを紡ぐことの大切さを思う。
 
 

(平野)