2021年11月21日日曜日

千早赤阪楠公史跡保存会

 11.16 ギャラリー島田DM作業。1127日から恒例の「石井一男展」「須飼秀和展」、1211日から「井上よう子展」「三沢かずこ展」。柿いただく。

http://gallery-shimada.com/

 





 元町駅前で「BIG ISSUE419号。表紙・インタビューは森山未來。販売者さんとちょっと話。近所にお勤めのお客さんが森山のプロフィールをいろいろ教えてくれたそう。映画屋さんかな? 



 本屋さんで注文品ほか文庫本。

 夜、姉孫とLINE電話、相撲、幼稚園の話など。妹は既に就寝。

 11.18 花森書林に本買い取り依頼。10冊ほどだと、棚の整理にはならないけれど。

 11.19 職場マンション前の溝、下校途中の小学生が野鳥の死体を見つけて教えてくれた。外傷はない。ヒヨドリだと思う。私は彼女に鳥を触らないよう、言った。彼女は落ち葉を拾い、鳥に被せ、何度も祈った。鳥は区役所の環境局に電話して引き取ってもらった。

 少女哀し鳥を弔う赤黄の葉 (よ)

 

 『楠木正成 知られざる実像に迫る』

千早赤阪楠公史跡保存会編 生駒孝臣・尾谷雅比古著 批評社 1500円+税



 先日紹介した源平合戦・地方反乱から約150年後、鎌倉幕府滅亡の時代。河内の武士・楠木正成はゲリラ戦術で幕府軍に立ち向かった。後醍醐政権に献策を取り上げられず、足利尊氏の大軍と戦う。

軍記物語は誇張あり粉飾あり伝説あり。江戸時代、水戸学が尊皇・忠義を称揚し、明治以後の皇民教育や戦意高揚に利用された。これらは正成の真の姿とは言えない。正成の出自は古代の天皇につながるとされているが不明。子・正行との別れ「桜井の宿」は国の史跡だが、発掘調査では遺構は発見されていない。一族・郎党が「七生報国」と誓ったという最期の姿も生存者はいないはずだから定かではない。

正成について直接的史料は少ない。史料・物語を慎重に扱い、正成のルーツ、幕府の御家人説、楠木氏と河内、「悪党」説など数々の謎に迫る。さらに、河内・和泉で楠木一族が戦い続けられた理由を地域社会との関係から考える。

正成が軍国主義の象徴のように見なされることは縁ある土地、そこに住む人びとにとって良いことではない。地元の保存会が史料に基づいて正成の真の姿を探り、再評価を行うことは大きな意義がある。

(平野)