2024年6月30日日曜日

小さきものの近代 2

6.27 「朝日新聞」に福岡在住の作家・岡田成司さんが、作家デビューできたのは街の書店のおかげ、と投稿。20数年前には自宅から徒歩20分圏内に7軒あったが、大型店進出で1軒になったそう。その大型店も閉店が決定。

〈紙の書物には、目に触れたとき、ふと読み返したくなる力がある。紙の書物によって誘われる読書の反復が、読み手に知識や感情の種を授けることを知ってほしい。(後略)〉

 家人がJR六甲道駅に行くので、「BIG ISSUE」を購入してもらう。1冊品切。

 




6.29 朝から変な連絡あって不機嫌ヂヂ。図書館で新聞調べて、古い雑誌を出してもらって、ちょっと落ち着く。午後本屋さんで注文品受け取って、古本屋さんで店主と話して、回復。

 

 渡辺京二 『小さきものの近代 2』 弦書房 3000円+税



 在野の歴史家・渡辺京二「熊本日日新聞」連載、絶筆。幕末から昭和の敗戦まで、激動の歴史を「小さきものたち」の視点から描く試みだった。

 明治維新は確かに身分制度を解体し地租改正を行い、中央集権を進めた変革だった。それは「日本が『万国対峙』という国際社会に出ていくためにそうせざるを得なかっただけの話」。「近代国民国家の形を整え、富国強兵を急ぐ必要があった」。日本人ひとりひとりが幸せになれる社会を目指した革命ではない。江戸時代の庶民は国際社会云々には関心がなく、「それだけ江戸時代は良い社会だった」。

日本が近代国家をつくったという話は他の歴史家に任せる。庶民が西洋文明を知り、国家とか社会とかではなく、一人一人の人生に目覚める。

〈つまり明治維新から敗戦までの日本は、一人一人が国民的自覚を強制された時代だったのです。福沢諭吉が一身の独立と一国の独立をつなぎ合わせたように、一国の運命を自分の運命として考えないような人間は一身が独立していないとされた。そういった天皇制国家の中で抵抗し、国家や権力と関係なく自分を実現できないかなと思っていた人たちがいました。そういった人たちを取り上げてみたいと思う。〉

 言うて詮無いことだが、完結まで読みたかった。本書では、尊皇攘夷に駆けつけた「草莽たち」、西郷隆盛らの士族反乱に先駆けて明治新政府に抵抗した人たち、自由民権運動の武力闘争、政府内での権力争いの他、渡辺が生前早い時期にまとめていた「お鯉物語」を最終章として掲載する。桂太郎の愛妾・お鯉の自伝から、明治大正の女性の生涯と明治元老たちの私生活を見る。

 明治末の話、善人が女性の乞食をいじめる村人たちを諌めたところ、彼女は食べることに困る。村人たちは彼女を泣かせながらも食べ物を恵んでいた。彼女を困らせる人はいなくなったが、恵んでくれる人もなくなった。小さな共同体には悲しく残酷なことだがそれなりの弱者救済があった。善意の行いはこの女性にとって、小さな親切大きなお世話、同情するなら金をくれ、だった。

(平野)

 

2024年6月26日水曜日

生きる場所をどうつくるか

6.15 午前図書館。必要があって1981(昭和56)年「神戸新聞」マイクロフィルム閲覧。

6.16 昨日に続き図書館、新聞閲覧。2日で4ヵ月分だけ。紙面は「ポートピア博覧会’81」記事でいっぱい。ポートライナー開通、三宮周辺の商業施設改装完成も。元町商店街は13丁目のアーケード取り替え。ロッキード裁判、田中角栄が病気で倒れる。著名人訃報、宮本常一、市川房枝、荒畑寒村、堀口大學。出版界では、再販制問題で公取委員長の著書が自由価格で出版、海文堂島田誠が抗議。私の目的記事に行き着かない。

6.25 今週は有給休暇を1日取ってあんまり労働しない予定だったが、臨時出勤が2日入った。いつもより働く。

 午前で仕事終わって、みずのわ一徳社主と打ち合わせ。ようやく正式書名と表紙決まる。いったん解散して、ヂヂは買い物など用事、本屋さん文芸嬢に出版のことお知らせ。夕方ギャラリー島田。来廊された方とお話。塩谷で書店開業されたそうで、お話するうちに海文堂スタッフのお友だちで何度かお会いしている、と思い出す。すぐわからず失礼。再度一徳と合流して島田社長、スタッフさんたちと懇談、こっちからはお願い。

「朝日新聞」読者投稿欄に「実家の老舗書店 休業残念だけど」。投稿者は東京在住の会社員、実家である熊本市の老舗「長崎次郎書店」が6月末日をもって休業する。書店の歴史や建物を活用する提案が寄せられている。

 

 瀧口夕美・黒川創 『生きる場所をどうつくるか』 

編集グループSURE 2400円+税



 合理主義、新自由主義、能力主義、能率、効率、生産性、コスパにタイパ……、政権政党の体たらくで明らかなように、金持ちが露骨に貪欲にカネカネカネと叫ぶ。弱者は切り捨てられる。

……国家による「管理」が世の隅々を覆っている感じ。個人は、助けあいの輪から切り離され、孤立して、なにをするにも人を頼れず、信用もできないので、安心できない。安心するには、すべてお金がかかる。災害が迫っている(大地震がかなり高い確率で起こると言われている)のに、おそらく政府は人びとのためになにもしないこともわかっている。(後略)〉 

キーワードは「アナキズム」の「相互扶助」。

編者と討論参加者たちは、出版社代表、作家、塾講師、画廊主、京都伝説の喫茶店「ほんやら洞」(講演会や音楽会、外国語教室など開催し、市民運動の拠点)関係者ら。誰かを頼りにする未来図を描けないが、「自分たちで、もっと気楽に助けあい、質素でも、生き甲斐のある場所、『なりわい』としても長続きする場を模索したい」と、知恵と経験を交換しあう。生き延びるため、都市で暮らすため、自分たちの居場所について議論する。

アナキスト石川三四郎は「土民生活」と書いて「デモクラシー」と読ませたそうだ。農を基本にした自給自足のイメージ。街の生活者はどうすればいいか。何か商いをして、地域社会で結びつきを作る。「贈与」=「互酬」という助けあい。がなければ、「挨拶」=コミュニケーションでよい。

(平野)

2024年6月20日木曜日

神戸はみだし近代歴史めぐり

6.18 大雨。週末ようやく梅雨入りらしい。

 携帯電話操作が覚束ない。家人たちに教えてもらうが、新たな問題が次々。新しいことをコレでやることになるのだろうけれど、ヂヂは困る。

6.20 神戸映画サークルの「映画批評」2024年夏号をいただく。映画ファンではないのに、毎号頂戴して心苦しい。今年は2本見ただけ。

 夜、孫電話。いつもどおりふたりが同時に叫ぶから、聞き取り困難。本日妹は3歳児検診。「なかなかったよ~」。姉は国語辞典で調べたことを読んでくれる。

 

 佐々木孝昌 『神戸はみだし近代歴史めぐり 写真で見るサブカル郷土史』 神戸新聞総合出版センター 2000円+税

 


 著者は「古本四ツ目屋」店主、フリーのラジオディレクター、ライター、音楽・ダンス専門学校講師。本書は神戸新聞夕刊に連載中(第三月曜日)の「四ツ目がとおる~兵庫はみだし近代考」50回分に新資料を加える。日本初のサブカル郷土史本、と宣言する。面白い歴史書き手が現れた。

……誰からも見向きもされず価値も見出されず、学術的研究対象にもならない。そんな歴史の痕跡や事跡に、サブカル的視点でスポットを当てるのが、僕が提唱・命名しているサブカル郷土史だ。(後略)〉

 古本屋さんだからこその貴重な絵はがきや資料を掲載。それらの点検・考察、現地取材・調査も行い、これまでの歴史研究の修正や補完もする。

神戸タワー、湊川神社の大鳥居、福原遊郭、王子動物園それ以前、水族館変遷史、兵庫大仏の弟、神戸の姫路城・キングコング・桃太郎……

メインの歴史「清盛」や「湊川神社」を取り上げても、著者の興味は清盛塚石塔尖端の歴代「相輪」であり、大鳥居(昭和121937年建立、9ヵ月後崩落)の基礎柱石部の行方。

遊郭・赤線、石垣、温泉、戦前銅像、路上名筆……、珍しい遺物、跡地、痕跡に興味を持ち、楽しみ、愛でる。災害や空襲を乗り越えた有名な建築物さえ消えてゆく。著者はそのサブカル愛をもって身近な遺物に価値を見出す。保存に興味・関心をもってほしい、と望む。神は細部に宿る。

私個人的には、旧生田区関連の遺物・資料紹介がありがたい。

(平野)

2024年6月18日火曜日

正岡子規スケッチ帖

6.15 野球観戦、燕組対猛牛組、京セラドーム。猛牛は主力選手が負傷して欠場なのに、燕惨敗(93)。得点時の東京音頭と傘振りも湿る。球場内冷房効きすぎて寒い。楽しみのビールはやめておく。

6.16 「朝日歌壇」より。

〈図書館にモグラ退治の本選(よ)れば「動物は友」のコーナーにあり (市原市)笠原英子〉

6.17 村田耕平さんのご遺族が、コーべブックス創業頃の写真を発見、と送ってくださった。感謝。かつて三宮ブックスの事務所で村田さんから1枚1枚説明してもらったもの。店頭の賑わい、平台・棚の本、出版社の宣伝看板、若き日の村田さんの姿も見られる。第一期生社員さんが写っているが、今となってはその名を知る人もいない。1965(昭和40)年当時、同店はさんちかタウン南端の東側ゾーン(現在革製品店や携帯電話ショップが並ぶ場所)にあった。


 『正岡子規スケッチ帖』 復本一郎編 岩波文庫 840円+税



 明治351902)年7月から9月、正岡子規最晩年。死の床で描いた画帖『菓物帖』『草花帖』『玩具帖』をまとめる。オールカラー。カバーの絵はバナナ。一房の一本一本の色を描き分けている。

『菓物帖』710日は巴旦杏(スモモの一品種)。

〈昨日来モルヒネノ利キスギタル気味ニテ昼夜昏々夢ノ如ク幻ノ如シ 食欲少シモ無シ 今朝睡起漸ク回復ス 午餐ヲ了ツテ巴旦杏ヲ喫ス 快言フベカラズ〉

『草花帖』81日冒頭に書く。

〈病子規/泣イテ言フ//写生ハ総テ枕二頭ツケタママヤル者ト思へ/写生ハ多クモルヒネヲ飲ミテ後ヤル者ト思ヘ〉

 子規はあまりの痛みにモルヒネを常用せざるを得なかった。新聞「日本」連載「病牀六尺」にも、「苦痛、煩悶、号泣、痲痺剤、わづかに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ」、「このごろはモルヒネを飲んでから写生をやるのがなによりの楽みとなつて居る」など語る。

見舞いの友たちと歓談し、食欲もあるが、家族の介護について癇癪を起こす。

 死が迫るなか、執筆、短歌・俳句、描画は楽しみであると同時に生きる力だった。癇癪も。

(平野)

2024年6月15日土曜日

春のとなり

6.10 元町駅前の「BIG ISSUE」販売員さんをしばらくお見かけしないので、同社にメールで問合わせていた。本日返信あり、5月で「販売員」職を卒業され、新しいステップに進まれた由。彼のお名前も知った。元町で購入できないのは残念だが、販売員さんにとってはめでたいこと。さて、どこで求めよう?

6.11 大丸神戸店地下売り場で1960年代の大丸周辺の街並みがミニチュアで再現されている。洋菓子「ツマガリ」のパティシエが洋菓子食材で制作。全体はセピア色、大丸や銀行など大きなビル、木造瓦葺きの商店、旧国鉄の線路脇の宣伝看板など。元町商店街の鈴蘭灯が見え、三宮神社境内で子どもが遊ぶ。市電が走る。歩道を行く人たちにまじって月光仮面らしき人物がいるなど、遊び心も。

https://www.kobe-np.co.jp/news/society/202405/0017640600.shtml

 人気店だからお客さんの行列ができる。お商売のジャマにならないように見る。

 娘から「父の日」祝い着。感謝。

6.13 第171回芥川賞直木賞候補作発表。先日紹介した岩井圭也『われは熊楠』が直木賞候補に入っている。

 

 高瀬乃一 『春のとなり』 角川春樹事務所 1600円+税



 妻と義父の仇討話。信濃米坂藩の藩医・長浜宗十郎が殺害され、あらぬ罪をかぶせられる。そこには宗十郎の父・文二郎が発見した鉱脈をめぐって、藩の財政に関わる密謀があった。妻・奈緒と文二郎は藩を去り江戸に出て真相を探る。暮らしのため営む薬屋に病人やけが人が駆け込んできて、何やかやと小さな事件が起きる。皆貧乏だが、強くたくましく、やさしい。惚れ薬を求める芸者が恋する相手として歴史上の人物が登場して、物語の鍵を握る。

 文二郎は目が不自由、脚も痛いが、洞察力にすぐれ、人情に厚く、愛嬌があり女子に好かれる。奈緒は人が良すぎて騙されやすそう。昔の想い人が現れて手がかりに近づくようなのだが……

ヂヂは細かいことが気になる。奈緒は言葉遣い丁寧だが、他人と話しているのに義父のことを「父上さまが~」と言う。「義父(ちち)」と言う時もあるが、敬語の使い方が不安定。時代小説をたくさん出版している版元だから、くれぐれもご用心。時代劇ドラマでも敬語がおかしいことたびたびある。

 先月銀座教文館で購入。

(平野)

2024年6月11日火曜日

われは熊楠

6.6 またやってしまった。6月に図書館休みがあるとわかっていて、本日行ったら20日まで蔵書点検の休みに入っていた。必要な本は市内の図書館になし。国会図書館のデジタル資料に頼る。でもね、画面では読みづらい。贅沢言うんじゃねえ!

6.8 「朝日新聞」〈Voice×インタビュー〉は、69日「ロックの日」にちなんで「ロックじゃねえ!」。1月同紙「声」欄に投稿された読者(大学生)の小学生時代の思い出。6年生時の担任先生はロック好き。よく怒ったが、それは嘘や言い訳に対して。先生は怒りが頂点に達すると「ロックじゃねえ!」と叫んだ。3月俳優の松重豊がラジオでその話を朗読、はじめ笑って読んでいたのに最後号泣。その松重に、ロックとは、ロックの哲学を訊く。役者下積み時代、演劇表現・想像力、世の風潮や戦争への抵抗などを語る。自らの「生きる上での指標」と。

〈生き方としての『ロック』は、もはや死語に近いでしょ? だけど僕の中にはまだあって、仕事を選ぶ基準は、ロックか、ロックじゃないか。恥ずかしいけど、そうなんです。〉

あの細身の身体も「ロック」。記事の一部は下記で。

https://www.asahi.com/articles/ASS671133S67UPQJ00PM.html



 孫電話。姉は国語辞典を使いはじめ、わからないことばを調べてあげるから何か言え、と要求。妹は今月から幼稚園入園(年少さんのもうひとつ下のクラス)して一日の出来事を報告してくれる。ふたり同時に叫ぶ。姉に「かしましい」を調べてもらう。その項を読んでくれた。「かしましい」で文章を作ってと依頼。「○○ちゃん(妹)はかしましい」と答える。あんたもや!

6.9 「朝日俳壇」より。

〈この町の最後の本屋燕の子 (川越市)横山由紀子〉

 

 岩井圭也 『われは熊楠』 文藝春秋 2000円+税



 博物学者・南方熊楠評伝小説。著者はミステリー小説などを多彩なテーマで執筆。なぜ熊楠小説か? 両親が和歌山出身、自身は大学院で菌類研究。

熊楠の奇人変人ぶりよくは知られるが、本書は彼の内面に分け入る。

天才」と言われる頭脳を持ち、ひとつのことに集中できる精神力があった。霊感というか直感力に優れる。亡き友が夢枕に現れると吉事か凶事が起き、森で大日如来に新種の生物を教えられる。一方で他人とのコミュニケーションや整理整頓などは苦手というか、無頓着。

幼い頃から熊楠の脳内には「鬨の声」が湧いてくる。自身の迷いでもある「声」に反論し動揺して独り言。時には泣き喚き暴れる。大人になると酒の力も加わり喧嘩沙汰。

〈熊楠はだんだんと、己が怖くなっていった。己のなかには、熊楠でない熊楠がいる。だが平穏に過ごしているところを見るに、どうやら他人はそうではないらしい。つまり、己は異常なのだ。/――いったい、我(あが)は何者(なにもん)なんじゃ。/事あるごとに癇癪を起こしながら、熊楠は我(あが)という存在への謎を初めて抱いた。〉

 小学校に入り、何かに没頭していると「鬨の声」は消える。学校の勉強では完全に消えない。植物、動物、鉱物、民話、伝承……、百科事典を調べ、暗記し書き写す。中学生になると級友の家の蔵書『和漢三才図会』105巻を借りた。しかし、「鬨の声」のことは判明しない。落胆したが、自分も世界の一部、と理解できた。

〈己は何者か。その謎に答えるための術が、自然と浮かび上がってきた。すなわち、我(あが)を知るためには世界を知ればよい。世界を知り尽くせば、己の正体もおのずと浮かび上がる。熊楠は、なぜ自分が世界に関する知識を欲するのか、おぼろげながら理解しはじめた。/詰まるとこ、我は我のことが知りたいのや。〉

 親と弟に金を頼っての貧しい研究生活。理解者であった弟と縁を切る。長男が心を病む。

1929(昭和4)年6月、昭和天皇に生物学進講。栄誉に周囲は喜ぶが、熊楠は弟と長男の不在を悔いる。

41(昭和16)年12月、熊楠臨終の場面。妻と長女に見守られる。心残りは弟と長男のこと、それに蔵書・標本類。

〈「生きることは死ぬこと、死ぬことは生きること」/ひとりでに舌が動いた。/強がりや諦めではない。熊楠の生は終わったが、生命の旅に果てはない。命は絶えず流転し、新たな命を生み出す。〉

(平野)

2024年6月6日木曜日

隠された聖徳太子

 6.1 「朝日新聞」神戸版に尼崎小林書店閉店当日(5.31)の様子掲載。紅白の幕を張ってお客さんに日本酒をふるまい、お別れ。

あちこち地域の本屋さん閉店している。ほんとうに本屋は絶滅の危機にある。

 


6.2 「朝日俳壇」より。

〈籐椅子のうしろ姿の読書人 (長崎市)村山信一郎〉

 家人と映画「碁盤斬り」。落語の「柳田格之進」を改作。

6.3 勤め先マンションの野鳥。住民さんから、無事巣立った、と知らせあり。巣作りからひと月ほど。親は産卵、抱卵、餌取り。子は餌取り、飛び方を学習する。弱肉強食。自然の摂理は偉大で、厳しい。

 巣を残し糞を落として鳥立ちぬ よおまる

「古書片岡」の通信22号届く。531日をもって店舗を閉店し、年内残務整理をして廃業される。今年の初めに店主にお会いした時、家主が代わるので立ち退きになる、と聞いていた。通信は年内発行するそう。15年間お疲れ様でした。

「ひょうご部落解放」2024年春号着。拙稿「おじさん読書ノート」は大江健三郎『親密な手紙』(岩波新書)紹介。本の友の追悼も兼ねた。

 

 オリオン・クラウタウ 『隠された聖徳太子――近現代日本の偽史とオカルト文化』 ちくま新書 920円+税



 著者は1980年ブラジル生まれ、東北大学大学院准教授、宗教史学専攻。

「聖徳太子」は日本史上の偉人のなかでも特別の人物。天皇を補佐し、政治・法を整え、外交を重視し、仏教に通じ、福祉救済事業などの業績を残す。戦前は天皇制国家の代表であり、戦後は「和をもって尊としとなす」民主主義の象徴となった。英雄には毀誉褒貶があって当たり前だが、この方は良いことばかり。宗教としての太子信仰も続いてきた。

古代の人ゆえ逸話・謎が多い。そのグレーゾーンにオカルトやトンデモ説が紛れ込む。たとえば、「厩戸王」は実在したが「聖徳太子」はいなかったという歴史専門家の意見から飛躍して、ユダヤ教・キリスト教と関係に発展する説。側近・秦河勝が渡来人の末裔であることから、やはりキリスト教と結びつける説。怨霊説、超能力者説など、明治以降の宗教家、著名小説家、学者、漫画家、オカルト作家らが語る「聖徳太子」像を紹介する。

〈……この百年は間違いなく、聖徳太子の物語が最も多様化した時代である。本書は、知られざる聖徳太子の一つの物語であると同時に、そのオカルトな(原文傍点)彼の「何か」に、生きる意義を求めてきた人々の物語である。〉

私が子どもの頃、一万円札と五千円札の肖像は「聖徳太子」、めったに見られない高額紙幣。

本書「あとがき」に初代林家三平の太子紙幣の歌「三平の聖徳太子の七不思議」が紹介される。現代もアイドルグループやミュージシャンが太子の逸話――大勢の人の意見を同時に聞いて判断――を歌にしている。カウンセラーとしての新たな「聖徳太子」が生み出されている。

(平野)

2024年6月1日土曜日

つげ義春が語る 旅と隠遁

5.29 「朝日新聞」夕刊に尼崎の小林書店が今月末で閉店のニュース。店主夫妻体力限界と決断。お疲れ様でした。誰かが引き継いでできる、というものではない。


 

5.30 ギャラリー島田DM作業召集あり、おにぎり持って参上。7月末をもって地下会場を閉じる由。海文堂ギャラリーから山本通に移り、再出発の地であるが、残念。1階の2会場で活動を続ける。

 

 『つげ義春が語る 旅と隠遁』 筑摩書房 2300円+税



 1970年代から約50年間の対談・インタビューを集める。お相手、文学関係では深沢七郎、正津勉、川本三郎、漫画界から、高野慎三、石井隆、池上遼一、古川益三ら。家族の藤原マキ、つげ正助、つげ忠男も登場。

 つげは貧しい生い立ち、小学生からアルバイト、卒業して工場勤め。貸本マンガでデビューするが、家賃2年滞納する赤貧生活。印刷工場の面接に行く途中で青林堂に寄ったところ、水木しげるの手伝い募集を知るマンガ家になったのは憧れてなったわけではなく生活のために転職、と語る。

〈本を作るのは知的産業のように思われていますけど、当時の貸本出版の現場というのは、家内工業的な子どものオモチャを作る感覚だったのです。原稿に写植を貼るのも版元の近所のオバサンが内職としてやっていたりで、紙芝居の世界も似たようなものでしょう。だから自分も、ちょっと絵が描けたから転職しただけなんですよね。その感覚がずっと続いているから、マンガがダメなら古本屋とか古物商に転職しようという気になるわけなんです。今後また運命が変るかもしれない(笑)。〉

雑誌「ガロ」では子ども向けにこだわらず自由に描くことができた。文学を読むようになって視野が広がったと思うが、作品が「難解」になったのは文学や芸術に目醒めたからではない。

〈難解なものは、自分の心の不安定が生み出したような気がするんです。自分の心の拠りどころのない不安感が煮つまって、それを表現しようとして難解になってしまったのではないかと思えるんです。(後略)〉

 生い立ち、旅、家族、病、宗教などから、作品の背景を聴き出す。

(平野)