2024年6月18日火曜日

正岡子規スケッチ帖

6.15 野球観戦、燕組対猛牛組、京セラドーム。猛牛は主力選手が負傷して欠場なのに、燕惨敗(93)。得点時の東京音頭と傘振りも湿る。球場内冷房効きすぎて寒い。楽しみのビールはやめておく。

6.16 「朝日歌壇」より。

〈図書館にモグラ退治の本選(よ)れば「動物は友」のコーナーにあり (市原市)笠原英子〉

6.17 村田耕平さんのご遺族が、コーべブックス創業頃の写真を発見、と送ってくださった。感謝。かつて三宮ブックスの事務所で村田さんから1枚1枚説明してもらったもの。店頭の賑わい、平台・棚の本、出版社の宣伝看板、若き日の村田さんの姿も見られる。第一期生社員さんが写っているが、今となってはその名を知る人もいない。1965(昭和40)年当時、同店はさんちかタウン南端の東側ゾーン(現在革製品店や携帯電話ショップが並ぶ場所)にあった。


 『正岡子規スケッチ帖』 復本一郎編 岩波文庫 840円+税



 明治351902)年7月から9月、正岡子規最晩年。死の床で描いた画帖『菓物帖』『草花帖』『玩具帖』をまとめる。オールカラー。カバーの絵はバナナ。一房の一本一本の色を描き分けている。

『菓物帖』710日は巴旦杏(スモモの一品種)。

〈昨日来モルヒネノ利キスギタル気味ニテ昼夜昏々夢ノ如ク幻ノ如シ 食欲少シモ無シ 今朝睡起漸ク回復ス 午餐ヲ了ツテ巴旦杏ヲ喫ス 快言フベカラズ〉

『草花帖』81日冒頭に書く。

〈病子規/泣イテ言フ//写生ハ総テ枕二頭ツケタママヤル者ト思へ/写生ハ多クモルヒネヲ飲ミテ後ヤル者ト思ヘ〉

 子規はあまりの痛みにモルヒネを常用せざるを得なかった。新聞「日本」連載「病牀六尺」にも、「苦痛、煩悶、号泣、痲痺剤、わづかに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ」、「このごろはモルヒネを飲んでから写生をやるのがなによりの楽みとなつて居る」など語る。

見舞いの友たちと歓談し、食欲もあるが、家族の介護について癇癪を起こす。

 死が迫るなか、執筆、短歌・俳句、描画は楽しみであると同時に生きる力だった。癇癪も。

(平野)