1.30 朝、図書館。寒いけれど、〈KOBEルミナリエ〉と〈南京町 春節祭〉開催で人出多く、元町界隈も賑わう。本屋さんで家人の雑誌。
2.1 古いピアノを孫の家に送る用意。ついでに部屋片付けの指令。
2.2 ひきつづき家の片付け。家人の雑誌とヂヂの不要本数冊を花森書林に持って行く。食パン代になるか?
「朝日俳壇」より。
〈読初(よみぞめ)の張飛遁走(とんそう)するところ (朝倉市)深町明〉
〈書に倦(う)みて枯野(かれの)のこゑを聞きにゆく (柏市)物江里人〉
2.4 ピアノは横浜に出発。到着は少し先らしい。
孫電話。妹、幼稚園から帰ってきて眠そうなのに相手してくれる。姉は習字の表彰状見せてくれる。ヂヂババ、嬉しくてチャンリンチャンリン。
高瀬乃一『梅の実るまで 茅野淳之介幕末日乗』(新潮社、1800円+税)。幕末の江戸。茅野家は小禄の徒目付だった。父が不祥事の責任を問われ切腹。15歳だった淳之介はその場にいて、介錯に失敗している。茅野家は無役となる。それから12年、淳之介は学問の道に生きるべく漢学塾を営んでいる。「学問は己の為にすべきである」が信条だが、塾生たちはすぐに役立つ蘭学や語学塾に移ってしまう。
〈己と異なる意見を受け入れることは難しい。それでも互いを思いやる「仁(じん)」の心があれば、己だけではなく他者も救われる。淳之介はそう解釈し、常に寛容であることを念頭に人と論ずるよう、門下生に伝えてきたつもりだ。〉
淳之介は剣の腕はダメなのに、幼なじみの八丁堀同心・青柳の探索を手伝わされる。尊皇攘夷の浪人とやむなく戦い、殺めてしまう。門弟も巻き込まれ、喜七少年が死亡、外国と商売する松三郎が重傷を負う。探索活動を続け、仇と狙われ、探索を攘夷の仲間と疑われ投獄されるなど時代の波にもまれる。ついには彰義隊にいた青柳の息子を上野の山から助け出す。
時が経ち、明治11年。茅野家、青柳家、門弟らは息災。庭の梅が実を落とす。梅の木は喜七が箒で素振りをしていた場所に植えたもの。家の修理に来た大工の若者・八郎が喜七の弟とわかる。淳之介は懸命に生きてきたであろう遺族の「寛容」の力を思う。
〈学問を生業(なりわい)とし、多くの弟子を持ちながら、いまだ淳之介はその力を得ていない。いや、この先も、自分はきっと欲深さを消し去ることはできないだろう。/だが、それでも学びたいと思う。次の世に新たな種を残すために。正しい事も誤ちも、すべて包み隠さず伝えていくために。〉
攘夷運動の背景に日本と海外の金銀交換比率の差がある。日本の金銀が流出し、幕府が小判を改鋳したためカネの価値が下がり物価上昇。今読んでいる別の時代小説でも外国貿易による経済活動から富の流出、さらに貧困拡大による一揆や争乱に触れている。
(平野)