◇ 【海】史(24)
■ 阪神・淡路大震災後(4)
時間が前後する。
95年10月、釧路の濱野さんという人が「アート・エイド・神戸イン釧路」を設立、応援団を買って出てくれた。神戸の人間にとっては、ありがたく、意義深いことだ。遠い釧路のこと、島田には戸惑いもあった。しかし、「釧路の人々の熱意で計画はどんどん進行」していく。
96年1月、釧路で「空のかけら、ひろいあつめて」という展覧会が開催された。神戸の画家40名がタイトルの刷り込まれた用紙に絵を描く。釧路側からは、プロ・アマ含め市民が出品料を払って400枚の絵を出してくれた。神戸新聞報道写真展、座談会、コンサート、震災詩朗読、落語など多彩なイベントが3日間行われた。
島田は神戸での“震災一年”行事の準備もあり、体調も脳細胞も不安のまま釧路行き。
雄大な景色が呼びおこすさまざまな相念に身をまかすうちに毛細血管には精気がよみがえってきた。
5月、神戸で釧路の皆さんと交流会。釧路の400枚と神戸の40枚の絵が並んだ「ありがとう釧路展」を元町まちづくり会館で開催。その後も3年にわたり「釧路の会」から支援があり、収益金が「神戸文化復興基金」に贈られた。
8月、【海】ギャラリー催事。野見山暁治と窪島誠一郎が収集した『戦没画学生・祈りの絵展』を開催した。【海】が全国巡回展のスタート場所になった。
10月、「アート・エイド・神戸」の活動を評価され、【海】がメセナ奨励賞を受賞。知らせを受けた時、島田、実は“激しい鬱”状態。
私は、この電話でいっぺんに鬱から躁に変わってしまった。
受賞でうれしいのは、何よりも海文堂書店としての貢献が評価されたことだ。事務局として膨大な事務を支えてくれたスタッフ。かなりの時間を、この運動に割かざるをえない私をフォローしてくれた社員諸君に心からの感謝を献げた。私の最初の感想は「これで社員諸君に顔向けができる」ということだった。(略)
海文堂書店がこの賞をいただいたということは、実に画期的な意味があるのだ。
ひとつは、恐らく受賞企業の中で資本金、従業員数、収益等、どれをとっても最小である。
ふたつめに、会社の資金をほとんど使わない貢献活動である。
みっつめに、ネットワークの中心であり、無数の市民やアーティストが運動として参加していること。
企業としての私たちが支援活動を財政的に支えていくことはできない。私たちができることは場所の提供、知恵の提供、労力の提供、ネットワーク(人脈)の提供だ。
私たちの活動が画期的であるという意味は「志」さえあれば誰でもできるということにおいてである。勿論、それは毎日の気の遠くなるような積み重ねの上においてはじめて達成できるものであり、一朝一夕のことではない。……
島田は今後の行政の問題――財政破綻、地方分権、行政依存から市民自立など――から、非営利組織の役割はどんどん大きくなると予測した。
一方、本屋業界の見通しは暗いものだった。
■ “WAKKUN”展atギャラリー島田
4月5日(土)~4月16日(水)
(平野)