2014年4月17日木曜日

星の都


 稲垣足穂 『星の都』 マガジンハウス 19915月刊

企画・編集 香川眞吾  タイトルロゴ・デザイン ネビル・ブロディ
造本・装丁 羽良多平吉  翻訳 落石八月月
資料協力 小谷孝司
 単行本初収録、新聞・雑誌発表掌篇やエッセイ50篇。

目次  マイ・サンマー・ハウス  三人に会った日  如何にして星製薬は生れたか?  星  カオルサンの話  鉛筆奇談  何故私は奴さんたちを好むか  あべこべになった世界に就て  ノアトン氏の月世界  星の都 ……

「如何にして星製薬は生れたか?」 「祖国と自由」19258月号

 星製薬は実在。星新一の父上が創立者。キャッチフレーズは「クスリは星」。
 広告文ではない。足穂の入院体験。ひろい静かな病院。ドクターはこない、薬も運ばれない。白い服のしゃべらない人が食事を持ってくるだけ。こんなことで病気は治るのか? 長い廊下を歩いても、庭に出ても、人影はない。

……おかしな気持で二三日さらに五六日がすぎた或る夕、しょうことなしにベッドにこしかけて窓のそとを見ていた私は、ふとそのさびしい丘と林の上にキラめいている宵の明星に目をとめた。そして、いつもこんな夕べ、見るともなくここから見つめていたその清らかな星の光に、ドキンと胸をつかれたように思いあたったことはここは、只こうしてこの星の光をながめることによってのみ病気をなおすところではなかったろうか! という一事であった。果してそのとおりであった。……(略)私は只、自分のそんな奇妙な経験から星さんはたぶんそんなようなところからあるいはそのうえきき(・・)薬をこしらえ出したのではなかろうかと思っただけのことなのである。……

「何故私は奴さんたちを好むか」 「文藝レビュー」19306月号

 奴さんとは、星そのものではなく、「円いリングをつけた土星や、その他の星雲や星団やホーキ星や、天文台の内部の写真などが、地球儀や活動写真に見る月世界旅行などと合わして……」。

……それらは、その頃の私のまわりにあったもの、その後に経験され出した若葉や花や人などの、どんなものも及ばなかったところの一群であった。今だって私は云うことが出来る、あの学校の行きかえりにながめていたお菓子屋の壁にかかっていたフレンチメキストの広告、赤い円錐帽をかむって、望遠鏡でもってお月さまをのぞいている天文学者の思い出は、自分のまえにあるどんな事物をも一撃してしまうと。……

「星の都」 「京都新聞」19688

 チリのサンチアゴからもっと南、雪の峰と氷河、岩、凍てついた湖と密林をくぐり抜けた「天体国アストロランド」。地球の先端の「さかしまの街」。

……星といっても星形のものはきわめて少ない。ヒトデのようなヤツも見受けられるが、大体は発光魚の印象である。時々、この天の岬をかすめて通って行くホウキ星なんか、お化けクラゲ、幽霊ザメとも見えて気味がわるい。こういうホウキ星が捕獲されて飼いならされたのがドライブ用の動力に使われている。
 また、一般の星々はライトの代用になって、この避暑地の目もくらむばかりの灯光は、みんな星によってまかなわれているのである。ある種の星は円錐都市の絶頂近くに栽培されて、光りのお花畑を打ちひろげている。この中に食用星がある。筆者もすすめられて、一度、蒸溜器の中に入れたのをアヘンのように燻らせながら蒸気を吸ったが、紅い星はストロベリー、黄星はレモン、青星はペパーミントの味がしたのは、気のせいであったろうか?

解説 荒俣宏 「ぼくらはタルホを詠みふけったあと、この世へ生まれでる」

稲垣足穂にいわせるならば、宇宙と未来とは、思い出にほかならない、のである。
 


 
(平野)