■ 稲垣足穂 『少年読本』 潮出版社 1986年7月刊(75年『多留保集4 少年読本』の再刊)
装画 まりの・るうにい 装幀 戸田ツトム
目次 RちゃんとSの話 つけ髭 少年読本 E氏との一夕 ユーモレスク 岩つつじ 火箭 洋服について カードの城 すばりと文殊 一穴の魅力 男色考余談
解説 高橋睦郎
「RちゃんとSの話――A sentimental episode」
神戸東郊の学園生活。
藍いろの空には、小鳥の胸毛のような白い雲はフワフワと流れていた。
北の方に、秀麗な曲線をえがいて、山が西から東へ長くつらなっている。そこからゆるやかなスロープが海の方へのびて、その左手にどこか外国の風景画を想わせるようなK市の調和した景色が見える。ジャイアントのように中空に突立った造船台をとおして、赤い腹をした汽船がならび、黒い煙の糸を空から引いて林立している煙突や、白い水蒸気につつまれた起重機の腕のあたりからは、たえずに、猛虎のようなサイレンのうなりや、石油発動機のけたたましい爆音や、威勢のいい鉄槌の響などが、オーケストラのようにまじり合ってかすかにひびいてくる。四年生のSは、この清らかな自然と、目醒ましい近代文明とに包まれた自分たちの学校生活の事を考えて、今さらに幸福な感に充たされていた。
暖かい春の昼休み、芝生の上で生徒たちがあれやこれやと先生の悪口。少女歌劇の写真を没収されたとか、英語の授業で半時間は飛行隊の話だとか。Sはいちばん端にいた少年の動作に目がいく。ハンカチを出して靴の塵をはらっている。
それがハッとSの注意を惹いた。というのは、そのハンカチには、美しい桃色のレースで花模様の縁がとってあるではないか! こんな芝の上で、犬の子のようにふざけているやんちゃな連中のポケットには、鉛筆の折れさしや、クシャクシャになったフライビンスの包み紙がはいっているのが規則なのに、そのなかからきれいなハンカチ――しかも桃色のレースのついたハンカチが出たという事は、奇蹟と云ってもさしつかえがない。
何て気がきいているのだろう、とSは思って、その少年の横顔を見つめた。すると、それが、さっき友だちと遊びながらも、ときどき女の人のように帽子をかむりなおしたり、襟元のホックへ手をやったりしていた少年であることがわかった。それで、Sはちょっと笑い顔をしながら、こう云いかけた。「君のハンカチはなかなかハイカラですね」
少年はTという。それ以来、Sは「どこか菫のような」Tのことばかり考えるようになった。下の名前を知りたくて教員室の前を行ったり来たり。二学期の終りの日、Tが賞状をもらう。「R」とわかった。「Rちゃん」とひとり言をくり返す。
(平野)
『ほんまに』新規取り扱い
【奈良県大和郡山市】 とほん 080-8344-7676
2月にオープンしたばかり。「人とほん」「雑貨とほん」の意味を込めた店名だそうです。新刊、リトルプレス、古本、雑貨、文具を販売してはります。
ありがとうございます。