◇ 【海】史(26)
■ 島田誠 『忙中旅あり 蝙蝠流文化随想』 エピック 2000年1月刊
装画・挿画 藤崎孝敏
1章 シチリアからチュニジアへ 1996年8月
2章 ロマンチック街道へ 1996年9月3章 パリへ 1998年1月
4章 アムステルダムへ 1998年1月
5章 ベトナムへ――ホーチミン―― 98年8月
6章 イギリスへ 1999年1月
あとがき
旅行記、文化論。
私にとって旅は無上の楽しみである。そんな海外への旅を重ねてきた。ときに仕事であり、視察であり、学習を目的としていても、それは表向きのこと、いつも心躍らせ、興味深々である。
毎年1月初めに海外に出る。阪神・淡路大震災当日は帰途の乗り換えで韓国だった。96年1月は震災行事で旅は断念した。友人から誘いの電話。
「シチリアとチュニジアへ一緒に行きませんか。いつ死ぬかも分からんから仕事なんてほっといて」即座に承諾した。
現地では日本人空手家が案内してくれた。美しい自然、イスラムとキリスト教文化が混在。地元の歴史の重みを感じ、料理・酒を楽しみ、人々と触れ合う。楽しいことばかりではない。強烈な日差し、暑さ。ずっと旅が快適に進むわけではない。
神戸に残してきた様々なことが走馬灯のように巡り、会社のこと画廊のこと、抱えた宿題、自分の使命などが浮かんでは消えた。……分不相応に荷物をしょいすぎる自分の業。本屋にも、画商にも、市民活動家にもなりきれず、半端でありつづけることへの嫌悪。見えない出口。あまりに不均衡なバランスシート。震災時の不在。私は一人の人すら瓦礫から救い出すことはなかった。贖罪の思いもあって引き受けたボランティア活動の一員としてあまた訪ねた避難所、仮設住宅で怒鳴られたことはあっても、やはり傍観者、あるいはせいぜい物分かりのいい人の範疇を出ることはなかった。その不徹底さを自己嫌悪するために、また次の荷物を担ぎにゆく。だからといって贖罪は訪れない。そうした苦い思いがつぎつぎと浮かぶ。
出版界の問題点を語ったり、市民文化を論じる時、島田は“過激”である。人と衝突することもしばしば。しかし、口にしたこと、書いたことに責任と覚悟を持つ。
遺された僅かな生の時間を、傍観者としてではなく、評論家としてでもなく、あくまで行為者として、挑発者として、逃げる心を叱咤しながらこの身を前後に晒し続けるよう自らを励ましていこう。
金時鐘の詩を自分に突きつける刃としている。
そこに居るな それ以上は。狎れて堕ちるのはそこのところだ
ともかく発て 帰る当てなどないところで立て それが蘇生だ。「明日」より
(平野)
◇ 元町商店街のイベント
■ 元町の芸術家たち展Ⅻ 4.24~4.29
こうべまちづくり会館 地下ギャラリー
■ グラシェラ・スサーナ スペシャルコンサート
とき 4月26日(土) 13:30開演
ところ 凬月堂ホール料金 3000円税込
申し込み・問い合わせ TEL 078-321-5617 凬月堂サロン講座係