■ 吉田篤弘 『おるもすと』 世田谷文学館 1600円(税込)
世田谷文学館が開館20周年を記念して出版。クラフト・エヴィング商會による「金曜日の本」シリーズ第1弾。
同文学館では3月18日から販売。4月5日から通販開始。http://setabun.or.jp/index.html
吉田が「この12年間、ずっと書きつづけて」、「この12年間、ずっと書けなかった」小説。
《もうほとんどなにもかも終えてしまったんじゃないかと僕は思う。間違っていたらごめんなさい。でも、そんな気がする。どうしてかと云うと、次にすることを思いつかないからだ。(後略)》
路地の奥の崖っぷちの家に住む青年。崖の下は墓地。いっしょに住んでいた祖父が亡くなり一人暮らし。石炭を選り分ける仕事そしていて、そこでは「こうもり」と呼ばれている。なぜここにひとりで住んでいるのかと考えるが、お墓=「しるし」を眺めているうちに「大抵のことは忘れて」しまい、「複雑な何か」や「やきもきする気がかりなこと」「不安」も忘れてしまった。祖父が生きていたら街の暮らしにしがみついただろうと思う。
《そうした想像をすることは何より愉しい。ここでひとりで暮らしてきて、想像することくらい愉しいものはないと思う。出来れば、この愉しみだけは失わずにいたい。その他のほとんどのことは終えてしまったり忘れてしまったりしたけれど、わざと少し色を塗り残すみたいに、想像する思いだけは、手つかずのまま変わらないようにと願っている。》
「おるもすと」は「almost」。〈でぶのパン屋〉の主人らしい外国人が話しかけてきて、長々しゃべり、最後に「おるもすと」と付け足した。意味はわからない。墓地に新しい墓ができた。「しるし」が増えた。また最初から数え直さなければならない。
《もうほとんど何もかも終えてしまったというのに、どうしても自分はそれを終えることができない。》
終わりがない、まだ先がある、つづく、「どうしても終えることができない」……、吉田は、《この先も「つづき」は考えてゆくつもりだ。》と書いている。
(平野)
シロヤギさんが教えてくれた。『図書』4月号(岩波書店)連載の髙村薫さん「作家的覚書」に海文堂のことがちらっと出てくる。主題は民間船員を有事に予備自衛官にして活用する計画について。新聞記事は見た。
《ひと昔前には想像もできなかった、こんな無謀な計画が現実に防衛省で練られ、それがさらりと記事になる。テレビなどのメディアはどこも騒がず、こうして一つ、また一つタガが外れてゆくのを止める政治家もいない。(後略)》