2016年9月25日日曜日

ほんまに 特集(1)


 『ほんまに』第18号 くとうてん 476円+税

 特集 神戸の空襲と作家たち その1

 本年3月くとうてんスタッフが神戸市東灘区の御影公会堂を取材した。改修のため一時閉館する。野坂昭如が生前たびたび訪れていた。『火垂るの墓』他、野坂の作品に「石屋川の公会堂」と出てくる。野坂昭如追悼の意味も込める。

●〝その時〟を描いた作家たち  
『神戸市戦災焼失区域図』(みずのわ出版2013年復刻版)を見ながら、神戸空襲を作家たちの随筆・小説から読み返す。
 米軍による兵庫県下の空襲は19451月明石・阪神間から始まる。2月には神戸市内にも来襲した。神戸が特に大きな被害を受けたのは317日の神戸西部(以下「三月空襲」)と、65日の東部(以下「六月空襲」)。
 野坂昭如、妹尾河童、小松左京、久坂葉子は中学生で、学校は違うが同学年。野坂は「六月空襲」を『火垂るの墓』や『一九四五・夏・神戸』に、妹尾は「三月空襲」を『少年H』に書いている。小松は工場動員で派遣された造船所で何度も空襲に遭った。久坂は学校、動員先の工場、自宅、避難した親戚宅で被災した。
 他に、外地から帰還した傷痍軍人(直井潔)、休暇で妻に会いに戻った兵士(足立巻一)、東京から流れてきた歯科医(西東三鬼)、蔵書を焼かれた詩人(竹中郁)、自慢の菊畑を菜園にした老ジャーナリスト(菊池幽芳)、山手から湾岸部の空襲を目撃した学生(陳舜臣)。防火用水に飛び込んだ女学生(豊田和子)、避難して家に戻ったら焼夷弾の炎でご飯が炊けていたと語る女性(島京子)もいる。
 著者たちは辛い体験を伝えると同時に、どん底から立ち上がる勇気も見せてくれる。

 平野お詫び、ミスあり。P311行目、「七日」は「十七日」の間違い。「小松左京」の項、P8、第2段《 》内「貼れる」は「破裂」の間違い。訂正いたします。いつもどおりのドジ、申し訳ありません。

空襲下の詩人と少年工  季村敏夫(詩人)
 季村が敬愛する詩人・杉山平一、そして高校時代の恩師・岡本忍。二人は戦争中同じ軍事工場にいた。杉山は経営者側の人事課、岡本は勤労動員の中学生。季村はそれぞれの日記を読む。岡本の日記は、労働、空襲、公休日の映画、皇国少年の決意が書かれていて、「総力戦の日常を切りとった貴重な庶民の記録」。杉山の日記は、少年工の結核死、子息の相次ぐ死、空襲による工場炎上と再建のことなど。
《……夭折、星になった工員、そして二人の子。動員された他人の子もわが子同様であった。短いが美しく燃焼した生命。彼らのはかなさ、無念のおもかげをひそかにひとり語りつごう、これが、窮地に立たされたときの杉山平一をよぎる祈りであった。》
 季村は二人の重いつぶやきを聴く。
(平野)