2016年9月29日木曜日

ほんまに 特集(3)


 『ほんまに』第18号 くとうてん 476円+税

 特集 神戸の空襲と作家たち その3

フェリシモ主催「神戸学校」で野坂昭如が語った神戸

 200011月、野坂は(株)フェリシモ主催の「神戸学校」で講演。自身が育った戦前の神戸のまちの思い出を語っている。また、飢えの極限状態も告白する。フェリシモ広報部のご厚意で講演を転載(抄録)させていただいた。全文は〈神戸学校HP〉をご覧ください。


『火垂るの墓』ゆかりの地探訪 御影公会堂

 神戸市立御影公会堂は1933(昭和8)年、旧武庫郡御影町の町民集会施設として建設された。白鶴酒造・嘉納治兵衛が建設費の大半を寄付。昔の金持ちは偉い、公共施設や学校を作った。
 設計は清水栄二。清水は神戸市役所勤務を経て独立。神戸市立生糸検査所=現KIITO、高嶋酒類社長邸宅=現甲南漬資料館なども手がけた。
 38(昭和13)年の阪神大水害、45(昭和20)の空襲、95(平成7)の阪神淡路大震災に耐えた建物。震災では避難所、遺体安置所になり、ボランティアの集合場所、支援物資中継場所の役目を果たした。
http://mikagekoukaidou.web.fc2.com/

 公会堂は地元自治会が管理。大ホール、和洋の広間、食堂、結婚式場がある。今年3月、耐震改修工事のため休館、来春完成予定。
 野坂はたびたび公会堂を訪れ、食堂のシェフとは顔なじみだった。食堂3代目鈴木さんが語る。
 《「野坂さんは、時代の変化や震災の影響で、神戸のまちの風景が激変していく中で、変わらない面影を残したままの公会堂を懐かしんでくれたように感じます」。》

『火垂るの墓』で公会堂が登場するのは、清太が節子と石屋川の堤防に避難して焼け跡を見るシーン。背におぶった節子に話しかける。
……「えらいきれいさっぱりしてもたなあ、みてみい、あれ公会堂や、兄ちゃんと雑炊食べにいったろ」(後略)》

(平野)販売店担当者さん、執筆者さんが紹介してくれています。ありがとうございます。ああ、ミスが恥ずかしい、申し訳ない。