■ 前川恒雄 『移動図書館ひまわり号』 夏葉社 2000円+税
1988年筑摩書房版を復刊。
前川は1930年石川県生まれ。同県内の市立図書館、日本図書館協会を経て、65年から東京都日野市立図書館館長。本書は「日本の公共図書館発展のテコになった」といわれる日野市立図書館の記録。職員たちは1台の移動図書館から始め、「新しい図書館」をつくっていく。
昭和38(1963)年、図書館協会の報告書『中小都市における公共図書館の運営』が発刊。公共図書館の重要な理論的主柱になった。前川も委員のひとり。
「公共図書館の本質的な機能は、資料を求めるあらゆる人々やグループに対し、効果的にかつ無料で資料を提供するとともに、住民の資料要求を増大させるのが目的である。(後略)」と主張。「中小公共図書館こそ公共図書館の全てである」こと、図書館業務のすべては住民に奉仕する現場=カウンターから始まるという考えが書かれている。前川はこの報告書について、部分的な誤りや不徹底なところもあるが、「多くの図書館員を鼓舞し、希望を与えた」と述べる。
前川は協会の上司・有山(のち日野市長)に請われ日野市教育委員会の職員になる。図書館設立の準備だが、図書館ができるのかどうか、案が出てもすぐ消える。市幹部が図書館は作らないと言う。
前川は有山と相談。本を貸すことに徹する図書館、学生の勉強部屋でない図書館、市全域にサービス網をつくる、などの考えを伝えた。
二人は先の「報告書」に自分たちの考えを加えた。「市民の自立」に寄与する使命と「分館網」という組織づくり。
《……図書館は戸板一枚と本があればできると思っていた。人のこない場所に大伽藍を建て、学生の勉強部屋になるよりは、駅前に戸板を置いて本を並べ、道ゆく人に貸すほうがはるかに世の中のためになるし、本当の図書館だと言える。》
マイクロバスを改造した図書館車に全職員が交替で乗った。前川は職員に2つのことを守るよう注意した。本を貸し出すとき、返されるとき、利用者に必ずひとこと言うこと。利用者が何に困っているか、自分たちに何をしてほしいのか気をつけること。
サービスポイントを巡回し、スピーカーで呼びかける。「みなさん、こちらは移動図書館ひまわり号です。簡単な手続きで、その場で本が借りられます。利用はすべて無料です」
読みたい本のリクエストに応える。所蔵していない本は地元の書店に注文し、絶版本は他の図書館に交渉して貸してもらう。
巡回を重ねるごとに利用者が増え、場所によっては時間が足りなくなる。半年間で貸し出し数は6万5千冊(当時の人口7万弱)、うち児童書が53%を占めた。
《……半年もすると、わたしたちには自信がついてきた。図書館の利用者はいたのだ。わたしたちの方法も間違っていなかった。(中略)日本の公共図書館では、利用が少ないのは市民が本を読まないからだと思い、市民に本を読む習慣をつけさせるために読書運動をするか、一般の人々の利用をあきらめて一部の人だけにサービスしていた。利用の少なさを市民のせいにしていたのだ。日野では、図書館がよくなれば利用が生まれることが、誰の目にもはっきりしてきた。図書館が変れば市民も変る。》
現在、日野市には中央図書館と分館5館、市政図書室(市役所内)があり、11代目ひまわり号も巡回している。(平野)
我が家の近所に神戸市立中央図書館があり、たいへんお世話になっている。中学生のときにここで勉強できると、友だちに連れていかれたのが最初だった。沢山の学生さんが勉強していて驚いた。でもね、勉強嫌いのアホ中学生は、場違いとすぐにわかった。