2016年9月3日土曜日

〆切本


  『〆切本』 左右社 2300円+税

小説家はじめ詩人、学者、漫画家、記者、それに編集者の「〆切」にまつわる文章を集めた。

書き手は知力体力をふりしぼって執筆するが、書けない、間に合わない。苦しみ、嘆き、挙句に逃げる。間に合わせようという気がないこともある。編集者は叱咤、懇願、哀願、脅迫、軟禁ときに監禁、あの手この手で書き手を励まし、追い詰め、パワーを引き出す。完成したときの歓喜は両者共大きい。
 絶対「〆切」を守る優等生がいる。
《奇癖ともいうべきこの私の習慣は、小説家の間にも知られていて、私のことを小説家の敵だ、などと冗談半分に言う人もいるらしい。
 しかし、編集者は、ありがたいと言っているものの、内心ではそうでもないことを私は知っている。
 酒が入ると、編集者は、
「締切りすぎてやっと小説をとったときの醍醐味は、なににも換えられないな」
 と、私が傍らにいるのも忘れて感きわまったように言う。その言葉のひびきには、締切りが過ぎてようやく小説を渡す作家に対する深い畏敬の念がこめられている。そのようにして書き上げた作品は、傑作という趣きがある。
 となると、締切り日前に書いたものを渡す私などは、編集者の喜びを取り上げ、さらに作品の質が低いと判断されていることになる。》
 なら、締切り日が過ぎてから渡せばいいのか?
 性分というもの。この作家は「早くてすみませんが……」と書き添えて原稿を送る。
 自ら〈遅筆堂〉と名乗った作家がいる。出版編集者だけではなく演劇台本でも関係者をヤキモキさせ、イライラさせ、泣かせてきた豪傑。演劇ではとうとう幕が上がらなかったこともある。〈遅筆〉と言えばこの人の代名詞。それでも業界で干されることがなかったのは、彼の作品が素晴らしいから。読者・観客が待っているから。
 女傑もいる。
《「今月は大変なんです」
 と、編集者が言う。
「井上ひさしがあるの?」
「違います。向田邦子があるんです」
「そりゃ大変だ」
 これは、売れっ子になってからの会話ではない。最初から、そうだった。これで作品がツマラナかったら一発でお払い箱になったろう。私はハラハラしながら見守っていた。》
 書き手と編集者の修羅場があって、またそれがあればこそ生まれる作品もある。
(平野)