■ 野坂昭如
『俺はNOSAKAだ ほか傑作撰』 新潮社 2000円+税
小説6篇、エッセイ、追悼文、対談を収める。
表題作品は1970年発表。なぜか都電の乗替え切符の話から始まり、神戸の市電のスマートさ自慢になる。〈俺〉は契約書に必要なサイン証明をもらうためアメリカ領事館に来ている。アメリカで出版された自作品が映画化されることになり、その原作料を受け取るために必要。
問題発生。出版社との契約書はNOZAKAになっていて、〈俺〉も訂正せずNOZAKAとサインしていた。領事館の書類にNOSAKAとサインし、身分証明のパスポートもNOSAKA。SとZの違い、アメリカの役人は〈俺〉がNOZAKAである証明を持って来いと言う。弁護士の手続きか、領事の前で宣誓することで証明は出してもらえる。妻を連れて行ったり、英語版の著書を見せたり、実父を連れて行くが、受け入れられない。〈俺〉が〈俺〉であることの証明を〈俺〉ができない。〈俺〉はほんとうに〈俺〉なのか? 野坂は〈俺〉なのか?
〈俺〉は野坂から養子に出され「田島谷」になり、戦後野坂に戻った。神戸の子ども時代を思い出す。次々と情景が甦る。
《俺は、別物になってしまったのではないか、いや、べつの人間の意識をこれまで生きてきたのではないか、少なくとも、昭和二十二年十二月末に実父と会って以後は。逆にみれば、それから現在につながる時間が本当で、以前は虚ともいえようが、俺の記憶の手ざわりからいえば、田島谷姓であった時のそれが、はるかにたしかで、ちょうど、あまり現実離れしている夢をみる時、ああこれは夢なのだと、自ら納得して、しかしなお身をゆだねているような按配なのだ。》
〈俺〉はあの空襲の日を避けている。〈俺〉は養父と玄関で靴をはいた。向かいの家が爆撃され、〈俺〉はとび出した。養父のところへ戻ろうとして、爆風で地面に伏せた。その後の記憶がない。養父母の死を確認していない。
《いずれにしろ、俺がNOSAKAだと、自分に納得するためには、夢から覚めねばならない。また、きこえてくる、空から降りかかるとも、地からわき上がるとも知れぬ爆音と、それに共鳴してびりびりと鳴りはじめる障子や硝子戸、用水の水が揺れ、俺は靴を突っかけ、左にすわる養父をみあげる。今度こそ覚めるだろうか。》
あとがきは夫人。新婚時代の神戸旅行の話。野坂は泳いでいて眼鏡を流してしまった。近眼乱視度入り色付き特別製で、野坂の「気分はギリギリ最低」。夕食後、少年時代の思い出をたどっていた。彼女が「彼のいけない神経に触れて」ビンタされる。顔が腫れ、目があけられない。野坂うろたえ、土下座、謝りつづけた。「一生あなたに手をあげるようなことはしません」。友人が会いに来たが、彼女はごまかす。「貴女の言いわけを聞きながらぼくは涙が出た、最低な男だ。申しわけない」。
《彼は元町で取りあえずの自分の眼鏡と私用の黒いアイパッチを見付けてきた。さすが神戸元町。黒いアイパッチをつけた私はさながら‶女パイレーツ〟のようだ。(中略)よけいなことだけど、あの時私がもし、マイクを持っていたら、きっと、ポコンとなぐり返していただろう。残念。》
(平野)