2016年9月27日火曜日

ほんまに 特集(2)


 『ほんまに』第18号 くとうてん 476円+税

特集 神戸の空襲と作家たち その2

空襲体験を描いた豊田和子さんに聞く
 豊田は1929年生まれ。もともと日本画を描いていたが、50歳を過ぎて仏画を始めた。孫を病気で亡くした悲しみの中、不動明王を描いた。その炎が空襲の記憶と重なった。戦時中住んでいたのは新開地と湊川神社の間にある商店街。火の海の中、豊田と母は防火用水槽に飛び込んだ。赤ん坊を背負った女性も入ってきた。赤ん坊の泣き声はだんだん弱くなっていった。
 2007年画文集『記憶のなかの神戸 私の育ったまちと戦争』(シーズ・プランニング)を出版、絵の力で戦争を語り伝えている。
……空襲だけが戦争ではないと思っています。戦争はもっともっと広い範囲で、将来のある青年が特攻に行ったり、広島で原爆に遭われた方、引き揚げの方など、それぞれの人にさまざまなことがありました。七十年が過ぎても、亡くなった方々とそのご家族のお気持ちを思わずにはいられません。》

 連載陣二人も特集に合わせて書いてくれた。
続映画屋日乗(3) 『火垂るの墓』――作り手の意図に反し続ける映画―― 内海知香子
 内海は高畑勲監督に、涙が止まらなかったと伝えた。高畑の反応は、「どうして? あんなの映画じゃないですか」。高畑は「反戦映画」と捉えられたことも意外と言う。
……高畑監督自身はこの映画を作った当初から、本当の反戦映画は、戦争が起こるまでのプロセスを知的に、冷静に描いて、将来起こるかもしれない戦争をどうしたら防げるかを観客に考えさせるものでなければならない。それは非常に難しく、自分では「お手上げ」だと言われていました。そして最近は『火垂るの墓』のような映画は逆に「子どもたちを節子のような目に遭わせないために国の防衛を強化すべきだ」というプロパガンダに使われる可能性のほうが高いとさかんに言われています。》
 映画公開は戦後43年目だった。もう30年近くが経つ。観客の見方は変わるのだろうか。

欧州ぐるっとグルメ本 番外編 戦争と一粒のアメ  中島俊郎
 昨年、中島は居住する東灘区岡本の住民史・地域史『岡本 わが町』(神戸新聞総合出版センター)をまとめた。住民80名が寄稿している。中島は阪神淡路大震災の原稿で埋まるだろうと思っていたが、多くの方が戦争の記憶を書いた。出征兵士、空襲、学童疎開など。女学生が習いたての手旗信号で川向こうの予科練生とやり取りした青春の思い出、空襲警報が鳴るやいなや隣にいた友が亡くなっていた苦い記憶。
 食の話もある。配給の砂糖でアメをつくり出征兵士に持たせた女性(寄稿者の母親)がいた。
《たった一粒のアメのなかに人間への慈しみ、やさしさ、愛情すべてがこもっているようだ。戦後復興はこうした人々の意志がまた力となったのである。》

(平野)