■ 『表参道が燃えた日――山の手大空襲の体験記――増補版』 2008年2月初版 2009年8月増補版
『続 表参道が燃えた日――山の手大空襲の体験記――』 2011年6月
制作・発行 「表参道が燃えた日」編集委員会
価格は両書とも[900円税込](5%時代の表記)、8%換算で926円。表参道の山陽堂書店で購入。同店は1891(明治24)年創業の老舗、この街とともに歩んできた。
関西のおっさんは、おしゃれで上品なファッションの街という印象で、近寄りがたい。しかし、この街も大空襲で大きな被害を受けた。
1945年3月10日の「東京大空襲」では、本所、深川、浅草、日本橋など東部の下町が焦土となり、死者は10万人を超えた。4月中旬から空襲は山の手地域に広がった。5月25日26日に投下された焼夷弾は〈3.10〉の倍にのぼる。犠牲者ははるかに少ない。
《このことは地域の立地条件の違いや建物疎開がされたことや空襲の連続で老人や女性、子供たちの疎開が急速に増えたことも一員といわれるが、三月十日の空襲の経験から、住民が消火活動より早く避難することを選んだためと思われる。しかし爆撃を受けた市街の惨状、人々の恐怖は三月十日の空襲と変わらなかった。》
「続編」に、山陽堂書店に避難させてもらった人の体験記が寄せられている。
「山陽堂さんに助けられて」
若林さん一家はすぐ近所の善光寺の裏手に住んでいた。母親は隣組の見回り、若林さんは妹とふたりで逃げた。
《表参道に来たら風がひどく、掻巻があっという間にくるくると飛んで行き、毬のように飛ばされ、電柱にぶつかりパッと燃えました。その時の光景が今でも目に浮かび忘れられません。/山陽堂書店さんの戸をたたいて、何人か入れていただきました。周りを見渡しましたら姉がいましたので喜び、どんどん燃えている外を怖々見ながら、母がどうしているか心配で生きた心地がしませんでした。(後略)》
時間が経って2、3人の女性が店に入って来て、手と顔に大火傷をした母親と再会。
(平野)
山陽堂書店、昨夏訪問時はお休みで、谷内六郎壁画だけ撮影して帰った。書皮の絵は和田誠。
〈ほんまにWEB〉「奥のおじさん」更新。