■ 藤沢周平 『白き瓶 小説長塚節』 文春文庫 1988年
初出「別冊文藝春秋」(1982~84年)。単行本、文藝春秋(1985年)。
藤沢周平と言えば時代小説、海坂藩など武家物、商人や職人を描く市井物などがまず思い浮かぶ。本書は人物評伝、明治から大正の歌人・作家、長塚節のこと。結核で37年の生涯を終えた。藤沢と長塚節がすぐに結びつかないが、藤沢は短歌・俳句に詳しい。結核闘病体験も大きいと思われる。
節は22歳の時、正岡子規に面会し門下に入った。2年後、子規死去。葬儀の最中、伊藤左千夫が節に言う。
〈「俳句は虚子と碧梧桐にまかせておけばいいんだ」(中略)
「しかし歌は長塚君、君と僕だ。二人でやって行かなきゃならん」〉
左千夫を中心に子規門下は活動するが、左千夫は「野菊の墓」のイメージとは違う豪腕というか、唯我独尊。門人たちと衝突、盟友・節、斎藤茂吉ら新世代の人たちまで批判。一門に波風が立つ。
節は生来虚弱体質、中学に首席で入学するも中退。家は豊かな農家だったが、県会議員の父は金銭感覚なし、多額の借金あり。節が農家経営・借金返済の算段。縁談は結核宣告であきらめる。節の生きがいは歌と健康のためと信じる旅。亡くなったのは九州大学病院。無理な旅から戻って、直前まで高熱を出しながら歌の推敲と整理をしていた。
表題は節の歌、
〈白埴(しらはに)の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり〉より。秋海棠の花の絵に添えた歌。
〈……聖僧のおもかげがあるといわれた清潔な風貌とこわれやすい身体を持っていたという意味で、この歌人はみずから好んでうたった白埴の瓶に似ていたかも知れないのである。〉
(平野)旅の友に選んだが、読みきれず。全485ページ、びっしり。藤沢は文献・資料を読み込み、歌人の生涯に向き合った。藤沢の執念というか、長塚節に取り組む姿勢に圧倒される。