5.13 ママ検診。ヂヂは孫と公園。遊具で背中を打って泣きみそ、「もう歩けなーい」。帰り道に図書館。遊び疲れて、児童書コーナーでこけまくる。図書館出て、「歩けなーい」。「じゃあごはんもたべられないね」「たべられるー」。食い気はくじけない。
私事、元町原稿の久坂葉子関連で同人誌「VIKING」のことを少し取り上げる。小沢もかつて同誌「乗組員」だった。
■ 尾脇秀和 『氏名の誕生――江戸時代の名前はなぜ消えたのか』 ちくま新書
940円+税
著者は神戸大学経済経営研究所研究員、佛教大学講師、専門は日本近世史。本書は江戸時代から明治初めの人名の変化を見る。
江戸時代、「名前」と「姓名」は別の用途のもとで併存。また武家社会と公家社会では異なる常識があった。私たちが現在使う「氏名」の制度は明治政府によって作られた。
私たちは戸籍上の氏名が唯一絶対の「本名」。改名できるが容易ではない。私たちの「氏」は姓、苗字(名字)、家の名前。「名」は個人名。
武士は幼名、成人名、当主名、と改名する。世間では姓+役職名=「通称」で呼ばれる。
歴史上の人物・松平定信という人名は「苗字+実名」だが、その時代には本人もまわりもそう呼んでいない。老中「松平越中守」=「苗字+官名」である。「越前守」「播磨守」「摂津守」など本来は朝廷が任命する地方長官だが、実態は失われている。将軍が朝廷に官位としての叙任を要請して、将軍が改名を許した。一般武士は「通称」に「擬似官名」(主膳、監物など)や「一般通称」(~郎、~衛門、~蔵など)をつける。父祖の名を継ぐことも。
公家社会では古代からの複雑な位階、官の規則・作法があった。称号+官名・通称に一族の「姓名+尸」=実名が続く。たとえば、「正二位行権中納言藤原朝臣光成」(じょうにい・ぎょう・ごんのちゅうなごん・ふじわらのあそん・みつしげ)。
明治の「王政復古」で朝廷勢力は人名の作法を政府、府県の役職にも広げようとした。武家・庶民の官員も従うのだが、日常生活に必要のない「実名」「本姓」を設定し、その「姓名」を人名の本体とする。わけがわからない。破綻する。新政府の目指す、国民の管理にそぐわない。管理の第一は徴兵のためである。明治5年5月、政府は官員、士族、華族に「通称」「実名」どちらかにせよと布告。平民も同様に適用した。「氏名」の成立である。
文化・慣習は時代に応じて変化していくが、明治の「氏名」成立は、急激で特異な事情により上から政治的強制的におこなわれた。だからといって昔に戻すことはできない。
〈人名とそれをとりまく常識は、今後どんな形に、どんな理由で、どれほどの時間で変わっていくのか――それは誰にもわからない。/だが人名は社会を映す。これからもその事実は、変わることはないであろう。〉
(平野)