2022年1月18日火曜日

跳ぶ男

 1.16 「朝日歌壇」より。

〈読みぞめの本のなかなか決まらぬもお正月待つ励みのひとつ (我孫子市)松村幸一〉

〈検定のミスならミスがうれしかり「現代の国語」に小説のこる (水戸市)中原千絵子〉

 本日も午前中図書館。昭和初め発行の貴重本返却。

1.17 阪神淡路大震災27年。あの日、あの冬は寒かった。

 夕刊で水島新司死去を知る。『ドカベン』の選手たちは決してスーパー選手ではなかった。山田は鈍足、岩鬼は悪球打ち、殿馬はピアノに進むかも、里中は体力に不安。次々戦うライバルたちこそスーパーマンだったし、彼らに敗者の美があった。最終シリーズで水島まんがオールスター登場の展開はハチャメチャだけど喜んだ。

直球一本の藤村甲子園、アル中のあぶさん、50過ぎても現役の岩田鉄五郎、他にも欠点弱点だらけのキャラクターたちが活躍する。水島の人柄でしょう。基本的技術、緻密な頭脳戦、心理戦、意外なルールなどを話に取り入れたと思ったら、にわかチームが明訓を苦しめたり、「筋書きのないドラマ」(筋書きあるけど)を描いた。語り出せばキリがない。長年楽しみをいただいた。感謝申しあげます。里中と水原の投球ホームは美しい。

 


 青山文平 『跳ぶ男』 文春文庫 770円+税



 貧乏小藩の道具役(能役者)の子・剛(たける)。同じ立場の保(たもつ)は年長の友であり能の師、かつ藩の将来を担う俊才。領地は台地の上、その下を流れる豊かな川は他国の領地。使える土地はすべて畑にして墓場がない。人が死んでも川原に埋めて、大雨で流されるままゆえ墓はお参りするだけの場所。保の思いは、この国をちゃんとした墓参りがきる国にすること。その保が刃傷沙汰で切腹。剛は保の面影とともに能の稽古に励む、跳ぶ。16歳の藩主が急死し、剛がその身代わりに仕立てられ江戸に。次の藩主として養子を迎えるまでのつなぎ役だが、その任務は重い。

 江戸時代、能は武士社会の式楽。単なる社交・趣味の芸能ではなく、政治上の儀式だった。藩重役は剛の身体能力・能の技量をもって幕府の支援を得て、改革、人材育成を目指す。剛に賭ける。ところが、大名・幕閣たちは能を愛し、きわめようと、高潔そのもの。生臭い政治とは無縁。剛は「想いも寄らぬ」考えで自らの身体を差し出す。

剣ではなく、頭脳ではなく、能=身体。能のことはまったく知らないけれど、著者の「能」論・身体論に圧倒される。すごい話を読んでしまった。 

カバーの絵は、須田国太郎「イヌワシ」。

(平野)