3.18 姉孫から神戸で食べたいものリクエスト。「ジョア、おいしいぎゅうにゅう、しらすごはん、からあげ、キャベツみじんぎり、おみそ、とうふ、はくさい……」。食い気のかたまり。
3.19 掃除して、姉孫リクエストの買い出し、全部は無理。
■ 森類 『鷗外の子供たち――あとに残されたものの記録――』 ちくま文庫
1995年1刷、手持ちは2002年4刷。初版は1956年、光文社刊。
森鷗外の末っ子・類が語る鴎外死後の家族の生活。
鴎外は子煩悩、皆を可愛がった。長男於莵、長女茉莉、次女杏奴も父のことを書いている(二男不律は生後まもなく死亡)。
類の場合は、偉大すぎる父を持つ子の苦悩。最近言われる「親ガチャ」の逆もある。
〈僕は鷗外、森林太郎の三男として生まれた。ずいぶん偉い人の子に生まれたものだ。どのくらい偉くなったら、父の子として調和が保てるのかしらないが、まごまごしていると、父が軍医総監になった年になる。父の子として偉くないのが恥かしかったら、消えてしまわなければならないが、生きていたいから困ったものだ。四十になってからは、初老と結びつくのが不愉快で、年を数えないことにしていたが、このあいだ、人が数えてくれて、四十五ですと言った。〉
類は普通の学校生活を送れず、中学をやめて絵を習う。先生は近所の人からはじまり、だんだん大家になる。母は持病があり、楽しみは芝居見物、碁。長女は結婚しても家事・育児できず、芝居に買い物。離婚して戻ってくる。再婚して、また戻る。次女は日本舞踊、太鼓、鼓の稽古にフランス語。高等遊民たちのお気楽な生活。鷗外死後の経済生活は保障されていた。問題は世間に「悪妻」と評価された母(後妻)と森家の人間関係。長男は先妻の子。
戦後、類は生活のため初めて就職するが、役に立てず、クビ。鷗外邸跡地に妻と本屋「千朶(せんだ)書房」を開く。鷗外がかつて住んだ家「千朶山房」から。名づけたのは斎藤茂吉、開店挨拶状は佐藤春夫。人に恵まれている。
本書のもとになった文章をめぐって姉たち・出版社と騒動になった。雑誌に掲載される予定だったが、校正刷りが姉たちに届けられた。良心的出版社の人格者と知られる重役の恫喝を明らかにしている。
(平野)