3.3 春めいて外に出る。ひな祭りに待ち合わせした人物は、みずのわ出版一徳社主とギャラリー島田社長。おっさんとじいさん計3名むさ苦しい。ギャラリースタッフさんたちがハツラツ入れ替え作業。一徳社主は千葉弔問して富山印刷所立ち会って金沢本屋巡りしての帰り道、北陸土産、感謝。
ヂヂババ春の節句晩餐。
3.4 新潮社PR誌「波」掲載、北村薫「札」。北村と編集者が文学作品中の一文で「いろはかるた」を作る。「いい人はいいね」(川端康成「片腕」)、「六は鳥が嗜好(すき)でしたよ」(国木田独歩「春の鳥」)、「恥の多い生涯を送って来ました」(太宰治「人間失格」)……。
文学史の話の他、誤訳の話や落語が出てきて、ヂヂはついていくのがたいへん。
夜、孫と電話、遊んでもらう。
3.5 春なのに秋の話。図書館で昭和6年9月10月の「神戸新聞」閲覧。目的は鉄道省線高架開通。ちょうど「満洲事変」突入の時で、紙面はキナ臭い。そんななか、本屋話題と文芸記事発見。
9月21日付「本屋から観た秋」は秋の夜長の読書傾向を探るもの。売れ行き良好書は、8月に襲撃され死亡した浜口雄幸首相の『随感録』、満蒙問題、世界恐慌関連本。プロレタリア小説は振るわず、大衆物は廉価本。女性は映画雑誌。洋書は、英語10とすれば独語6、ぐっと減って仏語の美術小説、注目は露語読者が増えてきたこと、トップはやはり経済物。写真、書店名明らかにしていないが、たぶん元町1丁目「川瀬日進堂書店」。別の写真で棚に見覚えあり。
10月26日付では、「故郷の秋 神戸の昔 歯の印象」十一谷義三郎(じゅういちやぎさぶろう、1897~1937年)インタビュー。義三郎は元町3丁目生まれ。薬問屋の番頭だった父親の死後、店主の親戚筋である酒造家・高嶋家の援助を受け、神戸一中、三高、東京帝大に進んだ。与謝野鉄幹・晶子に招かれ文化学院英文科教授。川端康成、横光利一らと「文藝時代」同人。代表作に「唐人お吉」「神風連」など。当時東京本郷に新居を構えたばかりだった。
〈……中学時代には六甲山麓に近い所の大きな酒屋に厄介になって居たのですが、醸造用の大きな樽などが置いてある広場に立って前の山々を見ると秋にはどうやら山の色が変るのです。紅葉(もみじ)などというのではなく何かはなしに山の色がしっとりと変って見えるのですね。(略)〉
元町のこと。幼い頃は5丁目極楽寺裏の寺子屋で習字と素読を習った。見出しの「歯」とは女先生の大きく長い「歯」のこと。極楽寺は真言宗のお寺、大正の時代に移転したようだ。寺子屋は「走水(はしうど)神社」の間人(はしうど)塾か?
同紙面に川端の随筆「犬の話」と雑誌「新青年」面々のトランプ勝負の話。(記事原文は旧字旧かな)
午後買い物。ほんまに久々「うみねこ堂書林」、店主の子息が店番。図書館で見つけた上記「新青年」のこぼれ話記事を渡す。先日紹介の曾根本に影響受け、伊藤整『若い詩人の肖像』(新潮文庫)。「花森書林」で、伊藤整『日本文壇史』(1)(2)(講談社文芸文庫)、さていつになったら揃うか。
魚屋さん、初物いかなご釘煮。
パパさんから孫写真。二人でテレビ「笑点」(録画)を見ている。姉は座布団ゲームと思っているらしいけど、妹はわかるのか? ヂヂバカちゃんりん。
(平野)