9.10 下町密集地の月見。うちの庇とお隣の屋根の隙間から。
名月や狭い隙間も皓皓と (よ)
9.11 東京駅近くの八重洲ブックセンター本店が来年3月で休業とか。街区の再開発事業のため。再開はだいぶ先のこと。
「朝日俳壇」より。
〈緑陰は古本市の指定席 (京都市)名村悦武〉
家人が家の模様替えを思い立つ。1階に置いている本を2階に移動命令。手始めに棚1本分(神戸本)と棚4本の上に重ねた文庫本。仕事並みに汗かく。確かにすっきりしたけど、落ち着かない。
9.12 新聞訃報、作家・神坂次郎。9.14にはジャン=リュック・ゴダール監督、スイスで認められる自殺幇助で。ご冥福を。
9.15 五輪汚職、角川書店会長逮捕。捜査が続く。
花壇のオリーブが実をつけ、家人喜ぶ。食べられないだろうけど。
■ 嵐山光三郎 『超訳 芭蕉百句』 ちくま新書 940円+税
嵐山は掲載100句すべてを現場検証した。芭蕉の古典教養、感覚の鋭さ、表現・比喩の巧さ、それに現場力を解説する。
〈『ほそ道』を追う旅は、旅する者の力が問われます。夏草の原にはかつて藤原氏の一族が住んでいた。「兵どもが夢の跡」を見ても、寂として声は出ません。旅する者の力とは、風景に対峙する目玉であり、無常を嗅ぎとる鼻であり、風の音を聴く耳である。句の現場で、それまで抱いていた思いこみがバラバラに崩れ散り、それこそが自分の視線である。〉
キーワードは「幕府諜報員」と「衆道」。
芭蕉の「おくのほそ道」に同行した河合曾良は弟子で幕府巡見使。詳細な記録をつけている。芭蕉の「ほそ道」紀行文には虚実があり、隠密行動の用心、と言う。「ほそ道」は仙台伊達藩諜報の旅、深川の芭蕉庵は伊達藩蔵屋敷を見張る役目だった、と。
もう一つの「衆道」。立石寺で詠んだ「閑(しづか)さや岩にしみ入(いる)蝉の聲」。主役は「蝉」。そして若くして病死した主君藤堂良忠のこと。俳号を「蝉吟(せんぎん)」といい、芭蕉に俳句を手ほどきした。初恋の相手。
〈蝉の声を聞きながら、一段登るごとに亡き蝉吟への声が胸にひびいてきた。芭蕉は旅さきで句を詠みながらも、追悼の思いを重ねている。その二重の仕掛けを読みとくのは『ほそ道』の旅を追体験したときに気がついた。仙台・松島を経て平泉まで北上し、尾花沢から大きく南下して立石寺へ詣でたのは、蝉吟を追悼するためであった。蝉の声を聞いて、はっと気がつくことなのだ。〉
正統派の芭蕉解釈ではタブーなのでしょう。蝉の種類論争とか当地の岩の分析をした人もいる。五・七・五の奥の奥を読み解く。解釈は読む者に許されている。
(平野)