2022年9月25日日曜日

芥川龍之介 枯野抄

9.22 また週末に台風。

 ギャラリー島田DM作業お手伝い、前回は労働日と重なり欠席したので2ヵ月ぶり。「神戸文化支援基金」(ギャラリーが事務局)の行事準備もありスタッフさんたち多忙。

「神戸映画サークル」塩さんから新刊著書届く。毎回ありがたく。

 孫動画。妹も姉に似ておしゃべりの片鱗。声出して会話しているつもり。食事シーンでは、姉の作ったぎょうざ手づかみでガブリ。姉はもちろんパクパク。家人にほしいものリクエストいっぱい。

9.23 図書館で栄町通3丁目にあった「西村旅館」のこと。

9.24 本日も午前中図書館。

 午後買い物。姉孫リクエストの図鑑購入、おまけ付き昆虫フィギア。

 花森書林に寄る。小磯良平の絵ハガキ3枚、「斉唱」「D嬢の肖像」「裁縫する女」。「斉唱」は松蔭女学院生徒がモデル。

同店顧客の山さんから「阪神鉄工所絵葉書」をいただく。ありがとうございます。1918(大正7)小曽根喜一郎が創立した船舶エンジン製造の会社。現在は阪神内燃機工業株式会社。昭和12年に20周年で刊行したモダンな「絵葉書」を100周年記念(2018年)に復刻。小曽根は家業の酒樽製造・金融業から不動産事業に進出。湊川付替えや鉄道など社会事業に参加。小曽根財閥を形成。福祉・慈善事業にも貢献し、光村弥兵衛と関係あり。山さんの家は光村利藻の印刷会社とご縁あり。

 


「西村旅館」を調べ出していきなり横道にそれる。明治初め、創業者西村夫妻は神戸進出前に大阪天満で「花屋旅館」を開業。西村家は河内の旧家で、先祖は俳諧を嗜み、北村季吟、井原西鶴らと句集を出版している。「花屋」と俳諧から松尾芭蕉終焉の場所・大坂南久太郎町の「花屋仁左衛門」屋敷と結びつける歴史探偵者もいる。こちらは文字通りの花屋さんなのでこの推理は無理みたい。

ということで、

 芥川龍之介「枯野抄」『ちくま日本文学全集001 芥川龍之介』

筑摩書房 1991



元禄7年1012日、芭蕉臨終の場面。門弟たちが順に末期の水をふくませる。師匠の「死」の顔に不快を感じる者、看護を尽くした満足感と共にそう感じる自分を嫌悪する者、他の者の慟哭が哄笑に聞こえた者、涙を潔しとしないと思いながら涙あふれ嗚咽する者、次に死ぬのは自分だと思う者……。内藤丈艸は先ほど涙、嗚咽したのだが、

……芭蕉の呼吸のかすかになるのに従って、限りない悲しみと、そうしてまた限りない安らかな心もちとが、おもむろに心の中へ流れこんで来るのを感じだした。〉

「安らかな心もち」とは、「久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に空しく屈していた彼の自由な精神」が本来の力で手足を伸ばそうとする「解放の喜び」。

〈彼はこの恍惚たる悲しい喜びの中に、菩提樹の念珠をつまぐりながら、周囲にすすりなく門弟たちも、眼底を払って去ったごとく、唇頭にかすかな笑を浮べて、恭しく臨終の芭蕉に礼拝した。――

 丈艸にとっての芭蕉は、芥川にとっての夏目漱石。「枯野抄」は1918(大正7)年10月「新小説」に発表。漱石の死は16(大正5)年12月。

(平野)