9.25 家人実家墓参りで、留守番ヂヂは本片付け続き。棚2本分を2階に持って行き、まさしく「積ん読」状態。あとは棚1本と机周り(これも多い)。
9.26 朝は夏布団では寒かったものの、昼間は暑い。
電車内読書は、塩見正道『「戦艦ポチョムキン」自主上映運動再考 「田中ファイル」の発見から』(風来舎、1300円+税)。旧ソ連映画「戦艦ポチョムキン」(1925年)はロシア革命での兵士反乱事件をテーマにする。本書は作品を論じるのではなく、その上映運動を振り返るもの。当時外国映画は自由に輸入できなかった。1959年の日本国内の文化団体、労働組合などが自主上映運動を展開した。敗戦から10年余り、60年安保を目前に全国で社会運動、市民運動、文化活動が盛り上がった。上映をめざした各地の団体の機関紙、ビラ、パンフ、ポスター、チケット、議事録や新聞・雑誌記事、活動家らの手紙など資料を発掘。作品が一般公開されたのは67年。
孫電話。妹は単語が増えた。絵本を指差して何やらしゃべる。キャラクターを説明してくれているらしい。姉は相撲のこと、図鑑が届いたことやパパとの遠出を話してくれる。姉妹共に大きな声、時に聞き取り不能。ご近所に迷惑ではないか心配。
■ 『正岡子規ベースボール文集』 復本一郎編 岩波文庫
420円+税
子規のベースボール好きはよく知られる。生来虚弱で運動嫌いだったが、ベースボールには熱中した。
子規が「野球(やきゅう)」と訳したという説があるが、事実は別の人物。子規は雅号に「野球」を使ったが、「ノボール」と読んだ。幼名「升(のぼる)」をもじった。他にも「能球」を使った。ゲームとしての「野球」を「弄球」と書いて「ベースボール」のルビ、また「野球」にも「ベースボール」のルビをふる。
面白いのは、俳句の弟子・高浜虚子、河東碧梧桐の子規との出会い。文学・詩歌ではなくベースボールだった。
碧梧桐が語る子規ベースボール引退の話には、潔さというか、一流選手の心境を感じる。1891(明治24)年3月のこと。これより前に結核の症状が現れていた。「子規」と名乗るのも喀血から。
〈ベースボールの球 ベースボールにはただ一個の球(ボール)あるのみ。そして球は常に防者の手にあり。この球こそ、この遊戯の中心となる者にして球の行くところすなわち遊戯の中心なり。球は常に動くゆゑに遊戯の中心も常に動く。されば防者九人の目は瞬くも球を離るゝを許さず(以上各文字に○点)。打者走者も球を見ざるべからず。傍観者もまた球に注目せざれば終にその要領を得ざるべし(以上傍点)。(後略)〉
(平野)