2014年4月20日日曜日

新文芸読本 稲垣足穂


■ 『新文芸読本 稲垣足穂』 河出書房新社 1993年1月刊

目次

1 足穂小伝  
郷愁の原点  高橋康雄

2 宇宙の機械学と模型世界と
足穂アラベスク 澁澤龍彦  
幻想幾何学と模型存在学 松岡正剛
巖谷國士、中村宏、荒俣宏

3 アンチ・ユマニズムの源流
稲垣足穂◆西脇順三郎に贈る 北園克衛   
愛読する人間 宇野浩二
佐藤春夫、武田泰淳

4 孤絶のA感覚
変な連想◆熊楠と足穂 飯沢匡  
 宗谷真爾、三島由紀夫・澁澤龍彦対談

5 タルホ曼荼羅
『僕の“ユリーカ”』  飯島耕一
月光発狂者復活 『稲垣足穂大全Ⅰ』 種村季弘
塚本邦雄、吉田健一、河村錠一郎、加藤郁乎、金子光晴、松山俊太郎

6 ノスタルジーの原イメージ
星たちの宴  中井英夫
病床の思い出  萩原幸子
草下英明、竹中郁、小谷剛、渡辺一考、鈴木翁二

カバーイラスト・装幀 山藤章二  本文イラスト 松本哉
 
 

三島・澁澤対談「タルホの世界」より
 三島は、足穂の文学者としての生き方、偉大さを賞賛する。しかし、「お目にかかりたくないんです」。

(三島)……稲垣さんを、いまだに、白い、洗濯屋から返ってきたてのカラーをした、小学校の上級生だと思いたいんですよね、どうしても。そういう少年がどこかにいて、とんでもないものを書いているというふうに思いたいんです。……もう一つは、非常に個人的な理由ですけれども、僕はこれからの人生でなにか愚行を演ずるかもしれない。そして日本じゅうの人がばかにして、もの笑いの種にするかもしれない。(略)日本じゅうが笑った場合に、たった一人わかってくれる人が稲垣さんだという確信が、僕にはあるんだ。なぜかというと、稲垣さんは男性の秘密を知っているただ一人の作家だと思うから。……(略)
(澁澤)三島さんのほんとうの愚行に到達するまでの小さな愚行がいくつかある(笑)。その点については、稲垣さんかなり辛辣なことを、現におっしゃっていますけれどもね。ほんとうの愚行が出れば評価は逆転する。
(三島)稲垣さんという人はテレ性ですからね。僕がほめればほめるほど僕の悪口をいうんです。

……

対談は1970年5月、中央公論社『日本の文学第34巻』のために行われた。三島自死はこの半年あまり後。
(平野)

 

2014年4月19日土曜日

タルホ=コスモロジー


■ 稲垣足穂 『タルホ=コスモロジー』 文藝春秋 1971年4月

装幀 山本美智代

目次 タルホ=コスモロジー  幼きイエズスの春に

作品解説 松村實
 
 

「タルホ=コスモロジー」 短篇集「ヰタ・マキニカリス」各作品と、同人雑誌「作家」発表作品(1950~65年、過去の書き直し含む)について解説するとともに、思い浮かんだことを語る。

「VITA MACHINICALIS」 ヰタ・マキニカリス

 1946年の冬、若き編集者・伊達得夫が「新潮」に載った足穂のエッセイに取り憑かれ、足穂を探し出す。足穂は戦争中不遇。雑誌に発表してきた原稿を整理し、いろいろな出版社に送っていたが、返されるか、出版されないので自分で取り戻してきた。伊達は1000枚、34篇の作品を出版しようとするが、会社倒産。
 48年、伊達、書肆ユリイカを設立。社名は足穂の示唆による。

 ユリイカ書肆即ち伊達得夫が作ってくれたこの短篇集は、五百部刷ったのがたちまち売れてしまった。(略)伊達は京大独文科出身だけあって、装幀より造本に力を入れるというやり方であった。こんな出版はみんな売れた所で、刊行者にはお金の方はマイナスであろう。だから私も印税やPRなど問題ではなく、二、三部貰ったらけっこうだと思っていた。私は今日でも印税とか原稿料とか口に出すのは、創作者たる者の恥だと思っている。そんなら妻子はどうするのだ? 妻子など初めから持たない方がいい。はっきり云えば私は、妻子のある者と、一度でも新聞小説を書いた奴は信用しないことにしている。彼らはマイホーム乃至新聞社に仕えているのであって、文学に仕えているのでないからだ。(略)

 私は自分の文章の上に、万国博覧会の機械館と、旗で飾り立てた軍艦とを感じている。つまりモザイクであり、アミールアセテートとアセトンの混合液をもってするフィルム的(・・・・・)継ぎ合せ(・・・・)だということが、我ながらよく判っているのである。「あいつの書くものは文学じゃない。あれは上野に陳列すべき工芸美術品だ」もう何十年も前にそんな批評を受けたことがあるが、何を隠そう、その工芸美術的な文学こそ自分が常に狙い、且つ憧れている所なのだ。……
(平野)

2014年4月18日金曜日

【海】史 忙中旅あり


◇ 【海】史(26)

■ 島田誠 『忙中旅あり  蝙蝠流文化随想』 エピック 2000年1月刊

装画・挿画 藤崎孝敏

1章 シチリアからチュニジアへ  1996年8月
2章 ロマンチック街道へ  1996年9月
3章 パリへ  1998年1月
4章 アムステルダムへ  1998年1月
5章 ベトナムへ――ホーチミン――  98年8月
6章 イギリスへ  1999年1月
あとがき

 旅行記、文化論。
 
 

 私にとって旅は無上の楽しみである。そんな海外への旅を重ねてきた。ときに仕事であり、視察であり、学習を目的としていても、それは表向きのこと、いつも心躍らせ、興味深々である。

 毎年1月初めに海外に出る。阪神・淡路大震災当日は帰途の乗り換えで韓国だった。96年1月は震災行事で旅は断念した。友人から誘いの電話。
「シチリアとチュニジアへ一緒に行きませんか。いつ死ぬかも分からんから仕事なんてほっといて」
 即座に承諾した。
 現地では日本人空手家が案内してくれた。美しい自然、イスラムとキリスト教文化が混在。地元の歴史の重みを感じ、料理・酒を楽しみ、人々と触れ合う。楽しいことばかりではない。強烈な日差し、暑さ。ずっと旅が快適に進むわけではない。

 神戸に残してきた様々なことが走馬灯のように巡り、会社のこと画廊のこと、抱えた宿題、自分の使命などが浮かんでは消えた。……分不相応に荷物をしょいすぎる自分の業。本屋にも、画商にも、市民活動家にもなりきれず、半端でありつづけることへの嫌悪。見えない出口。あまりに不均衡なバランスシート。震災時の不在。私は一人の人すら瓦礫から救い出すことはなかった。贖罪の思いもあって引き受けたボランティア活動の一員としてあまた訪ねた避難所、仮設住宅で怒鳴られたことはあっても、やはり傍観者、あるいはせいぜい物分かりのいい人の範疇を出ることはなかった。その不徹底さを自己嫌悪するために、また次の荷物を担ぎにゆく。だからといって贖罪は訪れない。そうした苦い思いがつぎつぎと浮かぶ。

 出版界の問題点を語ったり、市民文化を論じる時、島田は“過激”である。人と衝突することもしばしば。しかし、口にしたこと、書いたことに責任と覚悟を持つ。

 遺された僅かな生の時間を、傍観者としてではなく、評論家としてでもなく、あくまで行為者として、挑発者として、逃げる心を叱咤しながらこの身を前後に晒し続けるよう自らを励ましていこう。

 金時鐘の詩を自分に突きつける刃としている。

そこに居るな それ以上は。狎れて堕ちるのはそこのところだ
ともかく発て 帰る当てなどないところで立て それが蘇生だ。
「明日」より
(平野)
◇ 元町商店街のイベント
■ 元町の芸術家たち展Ⅻ 4.24~4.29 
こうべまちづくり会館  地下ギャラリー




■ グラシェラ・スサーナ スペシャルコンサート

とき 4月26日(土) 13:30開演
ところ 凬月堂ホール
料金 3000円税込

申し込み・問い合わせ TEL 078-321-5617 凬月堂サロン講座係
 
 

2014年4月17日木曜日

星の都


■ 稲垣足穂 『星の都』 マガジンハウス 1991年5月刊

企画・編集 香川眞吾  タイトルロゴ・デザイン ネビル・ブロディ
造本・装丁 羽良多平吉  翻訳 落石八月月
資料協力 小谷孝司
 単行本初収録、新聞・雑誌発表掌篇やエッセイ50篇。

目次  マイ・サンマー・ハウス  三人に会った日  如何にして星製薬は生れたか?  星  カオルサンの話  鉛筆奇談  何故私は奴さんたちを好むか  あべこべになった世界に就て  ノアトン氏の月世界  星の都 ……

「如何にして星製薬は生れたか?」 「祖国と自由」1925年8月号

 星製薬は実在。星新一の父上が創立者。キャッチフレーズは「クスリは星」。
 広告文ではない。足穂の入院体験。ひろい静かな病院。ドクターはこない、薬も運ばれない。白い服のしゃべらない人が食事を持ってくるだけ。こんなことで病気は治るのか? 長い廊下を歩いても、庭に出ても、人影はない。

……おかしな気持で二三日さらに五六日がすぎた或る夕、しょうことなしにベッドにこしかけて窓のそとを見ていた私は、ふとそのさびしい丘と林の上にキラめいている宵の明星に目をとめた。そして、いつもこんな夕べ、見るともなくここから見つめていたその清らかな星の光に、ドキンと胸をつかれたように思いあたったことはここは、只こうしてこの星の光をながめることによってのみ病気をなおすところではなかったろうか! という一事であった。果してそのとおりであった。……(略)私は只、自分のそんな奇妙な経験から星さんはたぶんそんなようなところからあるいはそのうえきき(・・)薬をこしらえ出したのではなかろうかと思っただけのことなのである。……

「何故私は奴さんたちを好むか」 「文藝レビュー」1930年6月号

 奴さんとは、星そのものではなく、「円いリングをつけた土星や、その他の星雲や星団やホーキ星や、天文台の内部の写真などが、地球儀や活動写真に見る月世界旅行などと合わして……」。

……それらは、その頃の私のまわりにあったもの、その後に経験され出した若葉や花や人などの、どんなものも及ばなかったところの一群であった。今だって私は云うことが出来る、あの学校の行きかえりにながめていたお菓子屋の壁にかかっていたフレンチメキストの広告、赤い円錐帽をかむって、望遠鏡でもってお月さまをのぞいている天文学者の思い出は、自分のまえにあるどんな事物をも一撃してしまうと。……

「星の都」 「京都新聞」1968年8月

 チリのサンチアゴからもっと南、雪の峰と氷河、岩、凍てついた湖と密林をくぐり抜けた「天体国アストロランド」。地球の先端の「さかしまの街」。

……星といっても星形のものはきわめて少ない。ヒトデのようなヤツも見受けられるが、大体は発光魚の印象である。時々、この天の岬をかすめて通って行くホウキ星なんか、お化けクラゲ、幽霊ザメとも見えて気味がわるい。こういうホウキ星が捕獲されて飼いならされたのがドライブ用の動力に使われている。
 また、一般の星々はライトの代用になって、この避暑地の目もくらむばかりの灯光は、みんな星によってまかなわれているのである。ある種の星は円錐都市の絶頂近くに栽培されて、光りのお花畑を打ちひろげている。この中に食用星がある。筆者もすすめられて、一度、蒸溜器の中に入れたのをアヘンのように燻らせながら蒸気を吸ったが、紅い星はストロベリー、黄星はレモン、青星はペパーミントの味がしたのは、気のせいであったろうか?

解説 荒俣宏 「ぼくらはタルホを詠みふけったあと、この世へ生まれでる」

稲垣足穂にいわせるならば、宇宙と未来とは、思い出にほかならない、のである。
 


 
(平野)

2014年4月16日水曜日

彼等― they―


■ 稲垣足穂 『彼等―they―』タルホスコープ 現代思潮社 1974年9月刊

タルホスコープ構成 川仁宏  

解題 萩原幸子

目次  彼等(they)  菫とヘルメット  蜩  レーディオの歌  北落師門  菟(lepus)  古典物語  明石 

『彼等』は1948年桜井書店刊。『明石』も同年小山書店刊、63年木村書店再刊。

現代思潮社は69年から70年にかけて足穂作品を『足穂大全』(全6巻)にまとめたが、収録できなかった作品を“タルホスコープ”として本書他全4巻(『桃色のハンカチ』『ヰタ マキニカリス』『弥勒』)に収めた。

『彼等(they)』

香水をつけている男子転校生F君(病気療養中に亡くなる)、師範学校附属小に通う年上の松浦さん、身体が弱く学校に行けない赤沢さん、叔母さんと二人暮らしの発ちゃん(兄さんが大学野球選手)、中学受験の予備校に行っているお寺の坊ちゃん、瞳の大きな睫毛の長い混血児みたいな角谷さん……懐かしい少年時代の友たち。彼らの多くは若くして亡くなってしまった。



 

本書、私は古本市で入手。ページ上部がうまく裁断されていない。こういう本がごくたまにあって、お客さんは「不良品だから交換して」と言ってきはります。交換には応じていましたが、私はこれは「福紙」と先輩に教わりました。「えびす紙」ともいって、めったにないことなので“縁起もの”です。広辞苑にも載っています。信用してください。
 それから本書には前の持ち主の“痕跡”メモが入っていました。

(平野)
 くとうてん「ほんまにサイト」がパワーアップップ~! 新連載2本。まもなくもう1本開始予定。
http://www.honmani.net/
 
 

2014年4月15日火曜日

タルホ大阪・明石年代記


■ 稲垣足穂 『タルホ大阪・明石年代記』 人間と歴史社 1991年7月刊

装幀 戸田ツトム+岡孝治  装画 まりの・るうにい

目次  蘆  芦の都シリーズ  パテェの赤い雄鶏を求めて  雪融け  父と子  地球  明石

解説 ベルグソンの薔薇 高橋康雄
 
 

 足穂は小1の2学期に大阪船場から明石に移った。

「蘆」

 汽車や郊外電車の窓から眺めるその横顔は、たくさんな煙の糸で天からぶら下がっているようでした。殊に蒼い夕暮れでもあって、地平を画しているそれら無数の工場からの汽笛が、ワダチの音をも掻き消して了うくらいに湧き上る折などは、都会全体が怺えていた事を一度に吐き出したかのようでありました。それでも矢張り蘆臭い、蘆の匂いがする、そういった方が相応しいようです。

 街のまんなかの雑貨・小間物の商店の多い場所が父の修業の地。どこの誰ともわからぬ若者のうえ、まだ歯医者は医者なのか職人なのかも区別のつかない時代のこと。
 幼少時代を、街とモノ(文房具、玩具、自動車、船、映画、洋食、サイダー、お菓子など)の記憶とともに語る。

「明石」

 タルホ版“明石郷土史、文化史”。

 播磨も郷土らしい雰囲気があるのは、明石から西だと私は思っている。自分が明石の生れではなく、そうかといって仮住まいの身でもなかった奇妙な因縁に依るものかもしれないが、凡そ郷土といえばゲミュートに訴えてくる……あの哀切なものが、もともと此地には欠けているようだ。港の掘割や西方の寺続きの区画に昔ながらの明石が保存されているといっても、それは消えそうになった散光にすぎない。

 ところが大阪についていうと、梅田ステーションの煤に黒づんだ旭日形の玄関口、ゼム(口中香錠)の大広告、伏見通いの外輪船、灯のついた船々に埋まった大川の夕涼み、道修町の張子の虎、十日戎の宝恵駕籠、法善寺横丁のお多福人形……こういうものが私の心の片隅にいまだに郷土的な翳りを残している。取り分け東郊西郊から振返って眺めやる煙突林立のプロフィールと、南海電車の窓から眼にとめた古風な帆掛舟がのろのろ動いていたみ(・)おつくし(・・・・)の辺りに、私は、ふるさと「蘆の都」を痛感する。

 先祖の話も。母方の祖父は播州多可郡の生まれで岩屋神社の出店を仕切る。父方は淡路の農民、ミカドの従者の家系で藤原氏。

私は大阪の船場に生れたが、本当は播磨人だという証明のために、ここに記しておく。
 
(平野)

2014年4月14日月曜日

タルホ座流星群


■ 稲垣足穂 『タルホ座流星群』 大和書房 1987年2月新装版(初版は73年6月刊)

装幀 中島かほる  挿画 亀山巌

 昭和40年代に雑誌(ミニコミが多い)に発表した作品群。

目次 神戸三重奏  空間の虹色のひづみ  紫色の35mmのきれっぱし 「後庭花」雑話 「タイル」方丈記  続アドラティ=バウァナ  白いニグロからの手紙  我が棲いはヘリュージョンの野の片ほとり厭わしきカルニアの運河に沿うた地下墓地だ  誰にも似ないように  我が見る魔もの  Curtiss! Curtiss!  タルホ座流星群  バブルクンドの砂の嵐
 
 

「タルホ座流星群」 初出は『小原流挿花』昭和47年(1972)10~12月号。「一千一秒物語」昭和版(?)

 ある晩、黒猫をつかまえて鋏でしっぽを切るとパチン! と黄いろい煙になってしまった 頭の上でキャッ! という声がした 窓をあけると 尾のないホーキ星が逃げて行くのが見えた

 花を愛するのに植物学は不要である。昆虫に対してもその通り。天体にあってはいっそうその通りでなかろうか?

 お巡りさんはアッと声をあげた。何と! 正面に開いている月夜の窓、空気のほかには何もない突き抜けの四角い枠の中から、数秒間ごとに、月夜そのものが薄くはがし取られているのであった。

……

 最後のフレーズは「一千一秒物語」と同じ。

 ではグッドナイト! お寝(やす)みなさい 今晩のあなたの夢はきっといつもとは違うでしょう
 
 

(平野)