2015年4月4日土曜日

震災学 vol.6


  『震災学 vol.6』 東北学院大学発行 
荒蝦夷発売 1800円+税

目次
「小さきもの」の行末について  佐々木俊三
第一章 原発をめぐる現在  福島第一原発のいま  海峡を隔てて 函館から見る大間原発 ……
第二章 過去に学ぶ  破壊の跡地を歩く  二〇一五年一月一七日の神戸  正岡子規の明治三陸大津波 ……
第三章 自立する市民の震災復興  被災した日常とボランティア  震災初期・被災事業所支援奮闘記  防災分野におけるNGOの可能性 ……
座談会 被災地/者と災害ボランティアステーションの行方

山川徹「二〇一五年一月一七日の神戸」
 20151月、山川は神戸を取材。人と防災未来センター、長田区の商店街、生田神社で話を聞いている。
 17日は東遊園地の〈阪神淡路大震災1.17のつどい〉から東灘区の喫茶店。区の犠牲者は1471人。常連さんたちが被災体験を語る。
 喫茶店のママさん。「ここら辺は激震地やけど、普段、みんな震災の話なんてしないもんねえ。二重ローンの人も多いよ。うちは全壊、主人が生き埋めになってね。「助けて」って叫んでんのに、みんなボーッとしてんの。隣も裏も死人が出ているから、他の人を助ける余裕なんてなかったのかもしれないねえ。そんなときに回ってきた商船大学の学生に主人を掘り出してもらったの」。

「兄さん、震災を取材にきたんでしょう。でも、私も思い出すのが苦手なんですよ。正直にいえば、あの記憶をきれいさっぱり忘れたい。思い出したくもない。話もしたくない」と言いながら、記憶をたどり話してくれる人。悲惨な現場、避難所に安置された遺体など、やりきれない体験をテンポよく軽妙に語ってくれる。彼らは今まで体験を話す機会はほとんどなかった。

……一月一七日という日が特別なのか。二〇年という歳月で何か変化があったのか。話したくないというのは本心じゃないのか。体験を聞いてもらい、話したいという本音が自分でも気づかない奥底に隠れているのか。それは分からない。ただ、神戸で被災した人たちが震災を忘れることも、記憶が風化することもないのだと実感した。

 山川は、取材した人たちの東北を思いやる言葉に気づく。

 二〇年前の一月一七日まで、彼らは被災者ではなかった。東北だって、三月一一日の前には日常生活があった。これからも、ある日を境に、どこかの町の日常生活が突然崩れ去り、被災者と非被災者に分けられるだろう。
 ふたつを隔てるモノは何か。それは、ひどく曖昧で理不尽なモノだとしかいえない。それを知っているからこそ、かつての被災者は、いま震災という現実と向き合う人たちに心を寄せることができるのだろうと思う。

(平野)「ほんまにWEB」 【しろやぎ・くろやぎ】更新。久々の再会、先輩後輩の心温まるシーン。
http://www.honmani.net/