■ 『阪神間モダニズム 六甲山麓に花開いた文化、明治末期――昭和15年の軌跡』
編著=「阪神間モダニズム」展実行委員会
企画・監修=兵庫県立近代美術館 西宮市大谷記念美術館 芦屋市立美術博物館 芦屋市谷崎潤一郎記念館淡交社 1997年10月刊
同年10月から12月、阪神間の4美術館で「阪神間モダニズム展」が同時開催された。各館のテーマ、県立近代美術館「美術家の挑戦」、大谷記念「〈新時代〉の娯楽」、芦屋市立「〈健康地〉のライフスタイル」、谷崎記念館「ハイカラ趣味と女性文化」。本書はその公式カタログ。
目次
第1章
郊外住宅地の形成第2章 阪神間の建築
第3章 ライフスタイル
第4章 美術家たちの挑戦
第5章 「新時代」の娯楽
小松左京「阪神間を築いた交通インフラの発展」より
1878(明治10)年に日本国有鉄道が京都・大阪・神戸に開通。1905(明治38)年現在の阪神電鉄が大阪出入橋と神戸三宮間に開通し、「これを機に民間主導型の沿線開発」が始まる。小林一三が箕面有馬電鉄を引き受け宝塚開発、1920(大正9)年には阪神間でも鉄道をつくる。現在の阪急電鉄。
《歴史的にみて阪神間というのは、江戸時代から大きな大名がいないところで、それゆえに武家社会のプレッシャーがなく、生活に密着した工、商が栄えたところです。また、山と海に挟まれて土地がせまく、農業があまり発展しなかったようです。技と商業力があれば、農業は必要なかったのでしょうか。》
阪神電鉄は甲子園に遊園地、水族館、スポーツ施設、住宅をつくり、路面電車を南北に通す。阪急電鉄は始発駅・終点にデパートや行楽地をつくり、駅ごとに宅地を開発する。
《こういう形で、近代交通の要衝がつぎからつぎへと重なってきて、阪神間の沿線には近代的な生活文化、住文化を中心にした独特な文化圏が形成され、世界を相手にしてきた、非常にハイカラな、モダンな文化が育まれてくるのです。》
関東大震災で文化人が移住してきた。キリスト教系の学校、財界人による学校など私学が設立され、栄えた。多国籍の外国人が居住し、それぞれの文化を日本人が受け入れてきた。
《阪神間というのは、江戸時代から舶来ものが入る玄関口であり、近代の西洋文化もどんどん取り入れています。ここの人たちは「新しいもの好き」ですが、その一方で伝統的な日本文化の蓄積ももっています。それを近代中流意識とでもいうなら、阪神間はまさに近代中流意識の強い地域で、それは、子どもの教育についても見られます。私学が多いことや商船学校や神戸高商などの専門的な知識を得る学校もたくさんあります。また、女性がすてきなんです。(中略、社交的、堅実、洒落たイメージ)
このような産業、文化を掘り起こして、私たちの近代阪神間が、古代から近世までの摂津の国からどんな風に変わってきたか、その変化と遺産をどう重ね合わせて、どういう夢のある地帯を新たに形成していくか、それを一緒に考えてみたいと思うのです。背後の山々も、単なる信仰のためだけに行くのではなく、ハイキングとかゴルフとか、新しいリクリエーションの場として展開してきました。阪神間ならではの「モダンな自然」がもたらす大らかさをいつまでも持ちつづけたいものです。(後略)》
自然を開発しすぎだが、先祖からの贈り物である自然を生活に取り込んでいける文化を形成したいと締めくくる。
(平野)本書、さんちかの古書即売会で購入。かつて海文堂で長く平積みしていて、いつでも買えると思っていたら、品切れになった。何せ展覧会のカタログ、増刷はない。本は、いる時に、ほしい時に買わなければいけません。
■ 『海の本屋のはなし――海文堂書店の記憶と記録』あれこれ(8)
ほんまにWEBの連載一斉更新。三毛小熊猫とくろやぎが拙著のことを書いてくれています。ありがとう。
熊木の言うように、「つぶしの効かない知識」が本屋といっしょに消えてしまいました。