2018年3月31日土曜日

日本詩歌思出草


 渡辺京二 『日本詩歌思出草』 平凡社 
1900円+税

 熊本在住の思想家。若き日から口ずさみ、心の拠りどころにしていた詩歌を紹介。昭和の歴史、自分史を重ねる。

……一読者として、いや一人の生きる者として詩、というより詩として表れる世界の一面にはずっと心ひかれて来て、それなしには今日まで生きのびることもできなかった気がする。〉

 ヤマトタケル辞世の歌「命の全(また)けん人は~」。渡辺には、中野重治の小説「村の家」の記憶と結びつく。転向者が獄中で結核を発病。食欲を失う中、唾が出てがつがつ食う。泪を流しながら。その場面にこの歌が出てくる。

〈「命の全けん人は」という呼びかけは、「きみたちはまだ生きていけるのだが、それに引き換え自分は」という風にも、「私は死んでゆくのだが、君たちはまだこれから生きていける」という風にも読める。〉
 ヤマトタケルの歌は、命を全うしたい人は呪(まじな)いの行為をせよ、という意味だそう。

〈そうだとしても、悲劇的運命を負った英雄の声と仮託してこそ、「命の全けん人は」という呼びかけは、二一世紀の私たちの胸にも届くのである。そうとれば、これは「風立ちぬ、いざ生きめやも」というヴァレリーの詩句とあまり遠くない声を、私たちの耳に運んで来ることになろう。〉

 斎藤茂吉の歌、
「草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ」
 渡辺が斎藤茂吉の短歌を知ったのは17歳、これも中野の本から。まもなく渡辺は結核を発症した。療養所に短歌会があった。

〈短歌という奴は、俳句もそうかも知れぬが、素人がもてあそんでも罪にならぬのである。茂吉の歌はそんな歌ではない。一生をかたむけた表現だった。(中略)「草づたふ朝の蛍よ」とうたえば、自分も生きてよいのだという気になれた。〉
 渡辺が伊東静雄の「曠野の歌」〈わが死せむ美しき日のために~〉に心動かされたのは、70年代初め、水俣病問題で活動していた時。

〈この詩について注釈はいらない。厚生省の一室やチッソ本社を占拠したりするのと、この詩を人知れず口ずさむこととは、私のうちではひとつも矛盾していなかったとだけ言っておこう。〉
 伊東は結核で亡くなった。渡辺と療養時期が重なっていた。

(平野)鼻歌でおちゃらけているのは恥ずかしい。
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