2020年11月12日木曜日

詩人・菅原道真

 11.12 午前中は家事、散髪。午後図書館、郷土史家のこと。

 大岡信 『詩人・菅原道真 うつしの美学』 岩波文庫 

600円+税



 菅原道真は平安時代の政治家、学者、詩人。藤原氏により失脚、右大臣から太宰府へ左遷=追放、家族も散り散りになった。後世、その悲劇は怨霊信仰になり、全国に道真伝説が残る。学問の神様=天神様として親しまれている。

 大岡は、詩人・道真を論じる。

……彼が今から千年以上前の日本において、今日の作者や読者らがかかえているのと同室の異文化間相互交渉をめぐる問題を、すでに切実な喜びや悲哀とともに生きていたことがわかるのです。〉

 キーワードは「うつし」。「うつす」、漢字「映す」「写す」がまず思い浮かぶが、そもそもは「移す」。意味は、人や物を動かす、心・気持ちを動かす、「伝染」も。

 また、色や香りを他の物にしみこませる、という意味もある。染色で露草の汁を下絵に使うが、それは消えてしまう。実は消えるのではなく、「もう一段高次のものの中に完全に融け入ってしまうのです」。エッセンスの「移動」「浸透」。

 道真の時代、公的文書も学問の書物も漢文、詩は漢詩。和歌は大和ことば、かな31文字。時の天皇は和歌好きで、『新撰万葉集』を編集させた。道真が選歌、それを漢字で表記、そのうえ漢詩七言絶句で表現した。翻訳――「和」を「漢」に「うつし」た。

たとえば「秋風にほころびぬらしふぢばかま つづりさせてふきりぎりすなく」。秋の七草・藤袴と着物の袴をかけて、きりぎりす(コオロギ)にほころびを縫え、という歌。これが道真漢詩では恋の歌になる(漢詩は本書を)。

〈秋風は颯々と吹き、葉はひらひらとなびく。壁では、コオロギがあちこちに鳴く。暁の露をわけて鹿が鳴き、それに合わせるように花が開く。わたしは何度も何度も手をのばして、美しい一本の枝を思いをこめて折りとった。〉

藤袴はただ「花」になった。時間は「暁」、秋の花に「露」がおり、「鹿」が登場。秋の「鹿」が鳴くのは交尾時期で、古来から「恋」のイメージ。「鹿鳴草」とは「萩」。伝統的な美的感覚が表現される。

〈道真という詩人は、このような形で、大和ことばの詩を漢詩文の世界に通し、これをいったんいわば漂白還元した上で、和歌の詩情をさらに別の次元へと転じ、つまり「移し」てゆく文学的方法を実行していた人だったのでした。〉

 道真は時代の先端を生きていた。

 讃岐赴任時に見聞した庶民の窮状を歌い、政治家として改革を試みた。

大宰府では我が身と家族の不幸、さらに親友の訃報、嘆きと悲しみを歌った。晩年の2年間である。

 19876月から雑誌「季刊へるめす」(岩波書店)連載。1989年同社から単行本。2008年岩波現代文庫。

(平野)