2023年4月2日日曜日

森於菟 観潮楼の玄関

3.31 通勤電車で「波」4月号を開く。筒井康隆「老耄美食日記」、続いて阿川佐和子「やっぱり残るは食欲」。高級外食と家庭料理で朝から腹いっぱいの感じ。

4.1 朝図書館。昼から買い物。書店員Hさんと立ち話。人手不足でたいへんそう。帰りに市議会・県議会議員選挙不在者投票。

へちまクラブ「金曜」の西村貫一や神戸に関する文章は「みなと元町タウンニュース」にて。「金曜」421952[昭和27]6月、表紙の絵は小磯良平)に森於菟「観潮楼の玄関」掲載。



「観潮楼」は千駄木団子坂上の森鷗外の住まい。太平洋戦争空襲で全焼。1950(昭和25)年児童公園として再生、東京都の史跡に指定された。現在は文京区立森鷗外記念館となっている。

 於菟が記憶をたどる。門を入るとやや勾配のある石畳、斜め右つきあたりが玄関。右の柱に小型の釣鐘があり、客が叩く。玄関入れば広い式台があり、一段上の正面が三畳の書生部屋。鐘が鳴らされたら書生が応対する。於菟台湾の大学赴任時にこの鐘を持って行ったが、敗戦後没収された。

 追憶のひとつ。於菟5歳くらい。ある夜、2階からの足音で目が覚める。玄関式台に数人の男性。

……中に小柄の老人が一人、頭は真中から半分以上禿げ、まわりの方に残った灰色の蓬髪が乱れかかる。このおじいさんが「三木さん。帰れない。どうしよう」と泣声を出すのを傍から丈の高い叔父(森篤次郎、筆名三木竹二)が「饗庭さん、大丈夫。今すぐ車が来るから。」となだめている。(中略)老人は泣上戸の饗庭篁村翁で、その外に父や幸田露伴、森田思軒などの姿が見られた。〉

 別の時、玄関脇の廊下で斎藤緑雨から絵札の束(煙草のおまけ)をもらった。

……ふだん父や祖母に無心をする緑雨はせめてもの礼ごころに私のきげんをとったのであろう。廊下を走っている時ぶつかった蓬髪垢面の緑雨が無言のままニヤッと白い歯をむき出したのはゾッとしたが、ピンヘットやサンライスの美しい画札はうれしかった。然し折角の緑雨の好意も祖母が「きたならしい」といって捨てさせられたのは残念であった。〉

 他に鷗外の思い出、歴代書生のエピソード、継母との不和など。

(平野)