4.18 ギャラリー島田DM作業。晩御飯当番、買い物もせねばならんので、作業終了前に失礼。
4.19 通勤と休憩時間に読む本枯渇。積ん読棚ひっくり返す。
「金曜」第10号(へちまクラブ、1949.11月)は「特輯號 兒童詩集」。大阪市立田辺小学校1年生・山口雅代の詩12篇。
前年春、井上靖(当時毎日新聞学芸部)と竹中郁が監修して月刊児童詩誌「きりん」(尾崎書房)を創刊。「金曜」世話人・西村貫一はこの児童文化育成事業に共感し、「特輯號」を発行。
雅代は脳性マヒのため自筆できない。口に出すことばを母親が書き取る。加筆・削除しない。
「電線のかげ」
〈ながいながい水たまりに/電線のかげが映って/かぜがふくと/ゆらゆらとわたしを追ってきた/立ちどまったら/追いこして行く/後から後から走ってくる/かげ/かぜが止むと/ピタリと/一本の線になった〉
竹中は指導しない。山口家を訪問して、
〈お母さんの情愛のこまやかな生活ぶりをみて、やはり愛情の中の生活が詩を生むのだと見てとった。あらゆる芸術は愛情から生まれる。自身の愛情からか、他人からの愛情からか、いづれにしても芸術の基盤になるのはこれだという確信を、その時大いに新たにした。〉
■ 山口雅代 山口昌弘・絵 『こころがゆれた日』 編集工房ノア
1000円+税 2022年9月刊
「金曜」で知った小学生詩人・山口雅代は健在。新聞や機関紙にエッセイ執筆。
本書は〈浮田要三と『きりん』の世界〉(2022.9~11月、長野県小海町高原美術館)にあわせ出版。浮田(1924~2013年)は美術家、雑誌「きりん」の元編集者。書影左上のアルファベットは、母ワカサW、雅代M、子息昌弘M、浮田Uを組み合わせたもの。浮田は不登校だった子息の絵を褒めてくれた。表紙はじめ多数掲載。
〈児童詩誌『きりん』と巡り合ったのは私が六歳のときです。脳性マヒという障害を持って生まれた子を授かり、母はどんなに不安だったことでしょう。そして、悔しいこともあったでしょう。親子心中を考えたこともあったそうです。そんな時、勇気を下さったのが『きりん』の先生方。この子の言いたい事書くのは私しかおらん……と思いなおしたそうです。/私も今まで来れたのは『きりん』で叩き込まれた、核を見る。という力でした。物事の核。/とくに人間の核です。(後略)〉
雅代は家族に先立たれ、自身の健康も不安。
〈空が見える。街も、絵も、本も読める。/五月の青嵐も、揺らめく木漏れ日も、私を支えてくれる人たちの温かさに甘えることもできる。そして、書ける。/私には沢山の感性がまだ残ってる。これも親に貰ったものなんだよね。/まだまだ残っているものを引っ提げて八十代に突入だ。〉
(平野)