2015年2月14日土曜日

神戸文芸雑兵物語


 林喜芳 『神戸文芸雑兵物語』 冬鵲房 19864月刊 B6 189ページ 
表紙 岡本唐貴「或る日のカフェ・ガス」  カット 浅田修一


目次
初めに貧乏ありき  詩は炸裂する赤いインキの迸り  ダダは駄々っ児  街頭で立ち売り進メ  「カフェ・ガス」あたり  大衆文芸の季節  昭和四年頃の詩人たち ……

 大正末から昭和。林は少年雑誌に投稿。作品が活字になると、次は自分で雑誌を出したいと思う。小遣い銭を工面して、ツテをたどって中古の謄写版を譲ってもらう。

 作品は容易に書けないけれど、働いているのだから金銭を捻出することは出来る。まだその方が容易である。小心な私は、まずやり易い方から片付けようとする。

 譲ってくれる相手・板倉英三は林の了見を間違いだと言う。

 やりにくい事から仕上げて行くのでなければ大成はおぼつかない。安易に狎れて満足するようでは将来がない。道具があるから作品が書けるというものではない。視野が狭い、そもそも君は生きているのか? ……

 林より2歳上、弁が立つ。
 小学校を出て働いてきて、生きんがために働いている、と反論するが、「動物的生き方」と一蹴される。

「ところで君は詩をどう思うんや」
「どおって、詩は詩でしかないなあ」
「そうや、それでええんや、詩以外の何物でもないんや」
(赤インクの壺を床に投げつけ、一面真っ赤になる)
「これが詩なんだよ。よく見ておけ、詩は驚き、怒りだよ。爆発だよ。生きている証拠だよ」

 別れ際、板倉が本をくれた。高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』。
 板倉と街頭でアナキズムの雑誌を売ったり、同人誌を作る。本屋にも置いてもらう。「戦線詩人」「裸人」(「らじん」。警察から呼び出し、発行停止になる。警察は無理に「レーニン」と読んだ)、「街頭詩人」(これもダメ)。喫茶店で話をしているだけで交番に連れて行かれるし、左翼運動家捜査で家宅捜索もされる。一度目をつけられると徹底的にマークされる。
 さて、当時の神戸文壇。稲垣足穂や今東光ら東京で名が売れた者がいるし、横溝正史をはじめ探偵小説で売り出した者がいる。神戸の作家を中心に探偵小説雑誌「ぷろふいる」創刊、「神戸大衆文芸」というグループもできた。「サンデー毎日」(大阪毎日)が懸賞小説募集を拡大し、作家志望者は張りきった。神戸からも入選者が出た。詩の仲間から上京して認められた者がいる。彼らが「カフェ・ガス」(三宮神社境内)、「オアシス」(元町5丁目)、「三星堂」(同6丁目の薬局の喫茶部)を根城にした。板倉と林はこの人たちの仲間とは言えない。板倉は飯を追いかけ、私は食うことに不安を感じ思い悩んで……という生活だった。

 板倉は私と共にここで言う「雑兵」である。

 やがて戦争が若者を召し上げる。昭和13年、林は印刷工をやめ露天商人になるのだが、それも物資統制で廃業せざるを得なくなる。

(平野)
【海】の階段踊り場に飾ってあった絵「シャンテ」【1936年、角野判治郎(かくのばんじろう、18891996)】が神戸ゆかりの美術館で展示。



 角野は長田の網元の生まれ。画業に専念し、生涯作品を売ることはなかった。フランス留学中は画学生の面倒をよく見たそうだ。