2015年2月7日土曜日

独特老人


 後藤繁雄編・著 『独特老人』 ちくま文庫 1500円+税 20151月刊 
カバーデザイン 横尾忠則
 単行本は01年筑摩書房より。
 後藤は1954年大阪生まれ。編集者、クリエイティブ・ディレクター、京都造形大学教授。
http://gotonewdirect.weblogs.jp/news/profile/

 各界第一級の老人28人に聞き書き。作家では、森敦、埴谷雄高、山田風太郎、芹沢光治良、堀田善衞……。芸術家、学者、漫画家、棋士、裏千家執事という人も。
 現在ご健在は4人になった。「もう二度と聞くことができない貴重な発言の数々」。

 人の魅力とは何だろうか? 今の世の中のように、社会に飼いならされながら歳をとっても、それはその人を少しも魅力的にはしない。
 逸脱、気まぐれ、思いつき、狡猾、諧謔、軽み、快活、色気。
 人は魅力的でありながら、かつ、やっかいなものだ。逆にやっかいだから魅力的だ。いったい何を言い出すかわからない。しかし、顔を、その目を見ただけで、一言も交わすことなく、その人のとりこにされることもある。人の力、それがすべてではないか。(略)
 小僧である僕は、彼らのことを「独特老人」「独特の人」と呼ぶ。独断、独走、独学、独想……独り楽しむと書いて独楽。独特とは、「独り」で「特別」、光速で回転する独楽のような人。

 会った人は53人超になった。
 神戸関係者では俳人・永田耕衣19001997)。

 人生ってやはり出会いだと、出会いは絶景だということを私は言っている。あの石川五右衛門が「ああ絶景かな」と言ったろ。あの絶景だ。これ以上立派なものはないと。出会いは絶景だと言ったって、誰と会っても絶景だとは言えない。だけど、今日あんたと会うたのは絶景かも知れん。そういう出会いによって人間は個別に、自己の環境を広げていって、その環境を広げるだけじゃなくって深めていって、その人の影響というかな、仏教で言う「善縁」というものを得る。つまり、そういう感覚が絶景感覚よね。出会いの絶景。
(昭和三十年頃句集『吹毛集(すいもうしゅう)』のその「あとがき」で、出会いは絶景と書いた)自然が絶景であるとも言えるけれども、それよりも人間の方が絶景だと。そういうことを言ったんで、私の名前が出ると「出会いの絶景」ということを口癖のように人が言ってくるわけだね。……

 最初の「出会いの絶景」は戦争中、加古川の禅寺の和尚・宮崎奕保。家が近所でたびたび訪ねた。会社で座禅会を作って、招いた。耕衣は李朝の水滴が欲しかった。分相応に欲望を満たしていけばある点で、その欲望はなくなるだろうと言った。和尚に叱られるかと思ったが肯定してくれた。

……求める。それは喜びを求めること。ただ生きておるだけじゃなくて、何かそこに手応えのある、これこそ人生だというような、立体的なものに突き当たっていく。あるいはそういうものに埋もれていくというか、掘り出していくというか、どう言ったっていいんだけど、そういう世界を求めている。

本書では触れていないが、ちょうどこの時期、耕衣は俳句を中断している。「京大俳句事件」で西東三鬼ら親しい俳人が逮捕され、「執筆禁止」になっている。耕衣は自粛する。

(平野)
 ギャラリー島田から情報。2月11日テレビ朝日「報道ステーション」内で加川広重さん「フクシマ」が取り上げられる予定。