2016年10月6日木曜日

近代はやり唄集


 倉田喜弘編 『近代はやり唄集』 岩波文庫 640円+税

 倉田は1931年大阪市生まれ、元NHKディレクター、芸能史研究家。『芝居小屋と寄席の近代』(岩波書店)、『幕末明治見世物事典』(吉川弘文館)、『文楽の歴史』(岩波現代文庫)など著書多数。『円朝全集』(岩波書店)編集にも加わる。

 懐メロ番組だと「歌は世につれ、世は歌につれ~」。人は楽しい時も悲しい時も歌ってきた。

 本書は明治大正期に民衆が愛唱した「はやり唄」を集める。街角の唄、寄席の唄、座敷の唄、壮士の唄、書生の唄、ヴァイオリンの唄、劇場の唄、映画の唄127曲。現代人も口ずさめる唄がある。
 明治の初め、音楽は「不具不全にして野鄙」、楽師は「無学無文」とされた。『女学雑誌』は「はやり唄」を猥雑と非難した。

《……音曲全般も同様で、かろうじて義太夫は無難。長唄もそれに近いが、その他の常磐津、新内、清元、河東、一中などは猥雑もはなはだしく、「決して婦女子に教授すべきものにあらず」と強く主張する。》

 それでも唄は誰かが唄いだし、伝えられ、広まっていく。新聞は、「淫猥で聞くに堪えない」「風俗醇化」を主張するが、正岡子規などは覚えた唄を書き残している。「はやり唄」が時代によって民衆にどう受け入れられてきたか、当局はどう制限したかをたどる。

倉田は解説で「歌唱力の進歩」について考える。日本固有の音調に親しんできた民衆に、洋楽は難しい。明治時代、小学生は唱歌が歌えず(方言もあるし)音楽の授業が縮小され、軍隊では軍歌が歌えない。子どもの歌声が変わり始めたのは日露戦争中。横浜で、兵隊ごっこの小学生が軍歌を歌いながら練り歩き、住民から苦情。明治371904)年10月市長は禁止令を出す。小学校の授業に軍歌が取り入れられ、唱歌の授業が立ち直った。倉田はこの時代の子どもたちを洋楽に親しんだ「第一世代」とする。10年後、松井須磨子の「カチユーシヤの歌」が大ヒットしたのは、この世代の存在が大きい。昭和10年頃、各地で出征兵士を送る際、彼らは5060歳、「臆することなく歌ったであろう」。

現代、のど自慢、コーラス、バンド、カラオケ、それに路上でも多くの「音楽人間」が「臆することなく」歌を唄う。

作詞・作曲者不詳が多い。文献や音源の収集には困難があるだろう。岩波書店のサイトで7曲を聴くことができる


(平野)〈ほんまにWEB〉担当者、どうしたことか立て続けに更新。「奥のおじさん」9月分もアップ。