■ 鶴見俊輔 『敗北力』 SURE 2200円+税
解説 加藤典洋
鶴見が生前編集していた「自選の最後の文集」に、未発表詩稿、単行本未収録原稿を加える。
日米開戦して、アメリカ留学中の鶴見は捕虜収容所に入れられた。既に日本の敗北を予想、いや確信していた。交換船で帰国したのは、国が負けるときに自分は国とともに負ける側にいようと決めたから。
《敗北力は、どういう条件を満たすときに自分が敗北するかの認識と、その敗北をどのように受けとめるかの気構えから成る。》
「江戸時代の終わり近く、日本人の多くは敗北力をもっていた」と言う。長州がイギリス軍と戦って敗れた後、伊藤俊輔はイギリス使節をもてなすために奔走した。講和交渉担当の高杉晋作は、島を一つ借りたいというイギリスの要求を断わった。神々の名を並べて、神様からいただいた島だから貸せないと。高杉は阿片戦争後の清国に行って、敗戦後の姿を知っていた。敗者として戦った。
日露戦争の指導者たちは「なんとか負けない」戦争のやめどきを計算した。勝ったのではなく負けなかった、ということ。軍隊の敗北力は受け継がれなかった。幕末に植民地を見聞したジャーナリスト、獄中生活を体験した首相も例にあげる。
《今回の原子炉事故に対して、日本人はどれほどの敗北力をもって対することができるか。これは、日本文明の蹉跌だけではなく、世界文明の蹉跌につながるという想像力を、日本の知識人はもつことができるか。原子炉をつくりはじめた初期のころ、武谷三男が、こんな狭い、地震の多い国に、いくつも原子炉をつくってどうなるのか、と言ったことを思い起こす。この人は、もういない。》
『ハンセン病に向きあって』(同社)から。4月のトークイベントで参加者が質問。鶴見が行動しつづけ、鶴見の精神を引き継いでいる人たちがいるのに、なぜ日本社会は逆の方向に向かっているのか。話し手たちが答えた。
《……鶴見さんは認識としてペシミスティックなんですよね。核の時代に入って、それが産業と一体化する形でビッグサイエンスが肥大して、これはもうコントロールがつかない。結局、人間はどんどん滅びに近づいていく、という認識だったと思う。少なくともそれを認識しておこうと。ただ、これに対してでも、努力する意味があるという言い方をしていましたね。》
《(安保法制、秘密保護法など)結局のところ数できまりますよね。これに対して、どんなにやってもうまくいかないけれども、鶴見さんは、負け続けながらも、どこかで、ひっくりかえす。ものすごく時間はかかるし、勝ち負けでいえばまだ当分負けるような気がするけれど、その中で、どこか巻き返せるようなものが、日常の中に植えつけられていく。もうそれしかないんじゃないかな。》
《いつも鶴見さんがおっしゃってたのは、ものごとを大きくつかめと。一〇〇年、いや二〇〇年の幅で考えろと。だから、鶴見さんの頭の中にはいつも幕末、黒船から現在までが常に視野にあって、その中でものを考えている。では、今の時代はどうかと見ると、日本はもう終わる、未来はない、というのが二〇〇七年の発言なんですよ。それでも、やるだけのことはやらないといけないというのが、鶴見さんの態度じゃないですか。》
鶴見はずっと負ける側にいて、思索し行動した。
(平野)