2022年12月21日水曜日

邂逅の孤独

12.17 「朝日新聞」別刷り「be on Saturday」に目に痛い記事あり。「『片付けられない人』の対処法は」、人生相談「悩みのるつぼ」は「家中に母の本 収集癖直すには」。

12.18 「朝日歌壇」より。

〈耳鳴りを波音で消し本を読む吾の片方(かたえ)に夫はハゼ釣る (広島県府中市)内海恒子〉

12.20 午前中墓参り。寒さは幾分まし。北国豪雪のニュース。

帰宅してギャラリー島田に向かう。途中、生田神社参拝して新年絵馬写真。

ギャラリーDM作業は新年の案内。このところ仕事や雑用で欠席続きだった。ご無沙汰を詫びる。

 臼田捷治 『邂逅の孤独 地霊と失われたものと』 幻戯書房 1500円+税



 臼田は元美術雑誌編集長。本の装幀、デザイン、文字などの分野で執筆活動。本書は青春時代の恋を題材にした小説。偶然の出会いから、上京以来過ごした土地との縁を語る。

〈現実は夢よりも上手だった。/まるで回り舞台が転じて、再度同じ演目を目の当たりにしているかのようだった。あのひとと思える熟年女性が私の真正面の席に着いたのだ。十余年前と同一のシーンの再演だった。〉

 学生時代に恋した女性。就職して交際するようになり、プロポーズするが実らなかった。35年後、その女性と中央線快速下り電車の中で偶然「邂逅」した。彼女は気づかない。本人かどうか自信がない。声をかけなかった。さらに10余年後、また同じ電車内で見かける。地理的には学生時代から暮らし、働いた場所。土地の《田の神》の引き合わせか。彼女は本を読んでいる。

〈年齢から察するに老眼鏡が必要ではないだろうか。でも女性はメガネなしだ。さすがに目と手にする本の距離は若年の者よりは離れていて膝の上に置かれており、ちょっと無理しているようにも見える。実際、読むのにややつらそうな気配が伝わってくる。〉

 洋書か? かろうじて和文が見える、翻訳書? 幻想文学か人文関係か?

〈片手にしおりを挟み込むようにして器用に読み進んでいることも、読書にふだんから慣れ親しんでいることをうかがわせる。そのしおりは何も印刷されていない半透明の薄いアクリル製のようだ。あらかじめ本に挿まれていた、版元がサービスで付けたそれというよりも、女性が常用している特別あつらえものという感じ。時折、しおりから離れた手がアゴに行き、軽く添えられる。その仕草にもデリケートな味わいがある。まるで京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像のよう。〉

 短く儚い遭遇、〈失われたもの〉がよみがえる。

 

(平野)表紙真ん中のおじぎしたような絵のような記号、「約物」というそう。文中の文節に用いられている。1970年代に朝日新聞で使っていた。記号ふたつをつなぐ点点(ドット)と合わせ、本書のテーマ、〈失われたもの〉〈地霊〉〈邂逅〉を表わす。