2015年1月18日日曜日

鎮魂と再生のために


 伊勢田史郎編 『鎮魂と再生のために 阪神・淡路大震災をふりかえって 長尾和と25人の詩人たち』 風来舎 19961月刊




 9596年、震災メモリアルの詩集を〈アート・エイド・神戸〉(【海】に事務局)の文学部門が刊行した。第1集では155名、第2集では129名の詩人が作品を発表した。長尾が表紙を描いた。
 本書は長尾の震災画と2冊の詩集から選んだ25篇の詩で構成。

 被災した長尾に友人たちから励まし。
「今こそじっくり絵を描け」
「あなたは神戸を描け」
「絵かきの目ン玉で神戸を見ろ」

 予定していたことはすべて頓挫しているが、毎日忙しい。被災した神戸の傷口に触れるようで気がすすまないまま街に出た。
 倒壊した家屋や電柱、焼け朽ちた街、そこに立つ樹木などが強大な破壊のエネルギーを証言していた。路上のわずかな亀裂にも、日頃の絵や彫刻にはない強い緊張感があった。
 市民に親しまれてきた酒蔵の街も姿を変えていた。救急車のサイレンが遠くから鳴り続き、空にはヘリの音、物かげから姿を変えた酒蔵をスケッチする。大好きな神戸だが正視できない。でも自然に足がのび、港や火災の街の地ベタに腰をおろした。
 
 各務豊和 たかとう匡子 君本昌久 青木はるみ 鈴木獏 多田智満子 和田英子 杉山平一 ……
 
安水稔和 「神戸 五十年目の戦争」

目のなかを燃えつづける炎。
とどめようもなく広がる炎。
炎炎炎炎炎炎炎。
また炎さらに炎。
(略)
これが神戸なのか。
これが長田のまちなのかこれが。
これはいつか見たまちではないか。
一度見て見捨てたまちではないか。


(あれからわたしたちは
なにをしてきたのか。
信じたものはなにか。
なにをわたしたちはつくりだそうとしてきたのか。)

一九九五年一月十七日。
午前五時四十六分。
私たちのまちを襲った
五十年目の戦争。

壊滅したまち。
眼前のこのまちに 
どんなまちの姿をかさねあわせればいいのか。 
これから。

神戸のまち 長田のまち
生きて愛するわたしたちのまち。
生きて愛するわたしたち
ここを離れず。
(略)

(平野)