2015年1月22日木曜日

神戸ものがたり


 陳舜臣さん逝去。


  陳舜臣 『神戸ものがたり』 平凡社ライブラリー 19981月刊 カバーの絵・風間完


 19816月平凡社版に書き下ろし「一月十七日のこと」を加えた。

 一九九五年一月十七日午前五時四十六分。この時刻を私たち神戸に住む人は、忘れることができない。
 地底からゴーッという音がきこえたようである。ぐるぐるとひきずりまわされる。これはいったいなんなんだ。大地がうごいているのだから、地震にちがいないが、こんなに揺れるものとは思わなかった。私は脳内出血で五ヵ月入院して、退院して四日目の朝であった。目がさめると同時に、あるいは自分のからだの変調ではないかと思った。だが、妻がわたしのからだのうえにかぶさってきた。病後の私をかばう動作だとすぐにわかった。かばうと同時に、「死なばもろとも」ということはかんじられた。僅かのあいだだが、そうかんじたことで覚悟ができたようである。とはいえまだそんな未曾有の地震とは思わなかった。

 退院後、沖縄でリハビリする予定だった。友人たちのすすめで8時間かけて京都に避難。先日紹介した「神戸よ」を書いた。

 原稿用紙にむかって、不自由な手をうごかしながら、わたしはなんども涙を流した。こんな経験ははじめてであった。はじめは病後で気が弱っているせいかとも思ったが、連載小説開始の直前で、気はむしろ高揚している。やはり神戸をおもって、胸がしめつけられたのだ。

 京都から沖縄に移りリハビリ。

……神戸が最もひどいときに、私はいなかったことになる。これでは、地震についてものを書く資格はないような気がする。

 書かねばならないという使命感があった。

(平野)