■ 正岡子規・著 天野祐吉・編 南伸坊・絵
『笑う子規』 ちくま文庫 2015年1月刊 700円+税
単行本は11年9月、筑摩書房より。子規の110回忌に合わせて出版。天野は02年から松山の子規記念博物館館長を勤めた。
〈はじめに〉より。
俳句はおかしみの文芸です。
柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺
子規さんのこの句を成り立たせているのも、おかしみの感情です。「柿を食べる」ことと「鐘が鳴る」ことの間には、なんの必然的な関係もないし、気分の上の関連もない。つまり、二つのことの間には、はっきりした裂け目が、ズレがあります。
(略、漱石の句に比べて子規はまじめな句が多いと思われている)重い病いと闘いながら三十四歳という若さで亡くなった彼のイメージが、そう思わせているのかも知れません。でも、それは誤解です。凄まじい痛みにさいなまれながらも、彼の想像力が生んだ世界には、生き生きした生気があった。そこから生まれる明るさがあった、とぼくは思っています。そう、ぼくの中にいる子規さんは、「明るい子規さん」「笑う子規さん」なんですね。
子規自身、「病牀六尺」に書いている。
……苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、わずかに一条の活路を死路のうちに求めて少しの安楽を貪る果敢(はか)なさ、それでも生きて居ればいいたいことはいいたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど、それさえ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさわる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるような事が無いでもない。……
明るい、おかしみのある、笑える句。でも……。
蒲団から首出せば年の明けて居る
天野のコメント。
ひょいと蒲団から顔を出したら
年が明けていたなんて、落語の八っつあんみたいに粋だろ?
ほんとは蒲団から出られない病人なんだけど、
ここは正月らしく、粋に気取らせてくれよ。
表紙の絵は、子規おなじみの“ソッポを向いている”肖像。
写真は、松山市商工課制作の栞。
(平野)