2015年9月12日土曜日

三本松伝説


 陳舜臣 『三本松伝説』 徳間書店 1991年刊 四六ハードカバー

「私」が語り手の短篇集。神戸を舞台にした私小説風のものと、楽しい旅行(取材旅行ではなく)をして「そのあと醸し出された作品」。神戸市立中央図書館で。

 表題作は、太平洋戦争末期北野の異人館でのできごと。「私」は外語学校の研究所助手を辞め、学校図書館の嘱託(無給)という身分。「私」の家は空襲を恐れて、港湾施設の多い海岸通から山に近い北野町に引っ越してきた。

 北野の異人館街を東西に通る山本通は古代から街道だった。「三本松」あたりは古墳があり、ちょうど峠になる。三本の松が旅人の目印であり休憩場所だった。現在、松は残っていない。

 日米開戦後、北野町界隈の外国人たちは帰国。収容所送りになった人もいる。洋館は空家だらけだった。管理人が住んでいたり、女中=阿媽(あま)さんが留守番していたり。「私」はSという阿媽さんにこの界隈について話をきいたことがある。

――祟りがありましてね。それであんなところにお不動さんを祀ったのですよ。
 と、Sさんは三本松不動尊のいわれを説明した。
 北野町の一丁目と二丁目を分ける坂の南半分を不動坂という。二丁目の角のところに不動尊の祠があるからだ。むかしここに三本の大きな松があったらしく、俗称「三本松」である。(中略)
 祠の北側が、古墳であったといわれている。それもふつうの死者ではなく、深い怨念を抱いて、非業の死をとげた人物がそこに葬られたという。ずいぶん古い時代のことで、その人物の名も、怨念のいきさつも、いまではわからなくなっている。(後略)》

 Sさんが、お不動さんを拝まないと祟る、祟りは外国人にも及ぶと、言う。フランス人姉妹の精神異常とアメリカ人の神隠しを例にあげた。アメリカ人と仲の良かったロシア人もおかしくなったらしい。
「私」の友人・楊がそのロシア人の家に住むことになった。楊と「私」はアメリカ人とロシア人の関係が気になる。
 楊は空襲に備え、半地下のワイン貯蔵場を防空壕にするために掘り進めたところ、白骨死体が出てきた。
 神戸大空襲で楊の家は焼け落ちるが、さて、あの死体は? 
(平野)