■ 細見和之 『石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』 中央公論新社 2800円+税
石原吉郎(1915~1977)、詩人。1939年召集、軍隊でロシア語の特訓教育を受け、41年関東軍特務機関に配属される。敗戦後、8年間シベリアに抑留され、53年12月帰国。54年、雑誌『文章倶楽部』(『現代詩手帖』の前身)に投稿して特選。選者は鮎川信夫と谷川俊太郎。63年『サンチョ・パンサの帰郷』(思潮社)、76年『石原吉郎全詩集』(花神社)など。
死因は入浴中の心臓発作と診断されたが、自殺説もあった。
《帰国後の石原は、まずもって「詩」を書いた。しかし、それは、シベリアでの体験をリアリスティックに描いた詩とは大きく異なっていた。さらに石原は、ようやく一九七〇年前後になって、シベリア抑留にかかわるエッセイを集中的に綴るようになる。そのエッセイもまた、通常想定される体験記とは著しく異なっていた。被害者の位置から過酷な体験を生々しく綴る、というものとはかけ離れた、深い省察を刻みつけた文章である。二〇世紀の極限的な体験を潜り抜けてゆくことで書き残された、石原の詩とエッセイ……。》
細見は、石原の生涯と作品をたどり、戦争・戦後体験を読み解いていく。
《 詩が
詩がおれを書きすてる日が
かならずあるおぼえておけ
いちじくがいちじくの枝にみのり
おれがただ
おれにみのりつぐ日のことだ
その日のために なお
おれへかさねる何があるか
着物のような
木の葉のような――
詩が おれを
容赦なくやぶり去る日のために
だからいいというのだ
砲座にとどまっても
だからこういうのだ
殺到する荒野が
おれへ行きづまる日のために
だから いま
どのような備えもしてはならぬ
どのような日の
備えもしてはならぬと 》 (1960年発表)
細見は1962年生まれ。大阪府立大学教授、ドイツ思想専攻。詩人でもある。大阪文学学校校長。
■ 『海の本屋のはなし』あれこれ
14日、海文堂サポーターたちと新聞の取材を受けました。
トンカさんがお客さんから聞いた話をしてくれました。暑い日に海文堂のクーラーで涼むことを「海風にあたる」、中央カウンターのことを「中突堤」、お客さん同士で言っていらしたそう。また、店の奥はケータイ電話の「圏外」で、嫌な相手の時は「奥の院」に移動して電話に出ない。
このネタ、もっと早く聞きたかった。
(平野)