2015年9月6日日曜日

仮往生伝試文


 古井由吉 『仮往生伝試文』 講談社文芸文庫 2000円+税

 元本は1989年河出書房新社刊。
「極楽往生」「大往生」の「往生」。

《ここで往生伝というのは、平安の後期に書き留められたかずかずの聖人たちの極楽往生の記録のことであり、それを読むうちに、今の世に生きる人間にもひょっとしたら、仮往生伝ぐらいは書けるのではないかと、ふっと思ったのが始まりだった。仮免許の仮である。しかしまた考えてみるに、いくら仮という文字をかぶせたところで、無信心の徒には、仮にも往生伝は書けるものでないと悟って、試文と付け足すことにした。蛇足のたぐいか。》

 人はいつ「往生した」ことになるのか。
 増賀上人という人は、いよいよ往生という日に、弟子に碁盤を出すよう命じて石を並べた。弟子がなぜ碁石を並べたのかをおそるおそる訊いた。昔、人が碁を打つの見たことを念仏を唱えながら思い出し、打ちたいと思い打った、と答えた。
 上人は次に馬具の「泥障(あふり、鞍の左右に垂らす泥よけ)」を持ってこさせて、首にかけ蝶の衣装のようにして舞う真似をする。同じく弟子の問に、昔見たことを思い出してやりたいと思った、と答えた。古井は、僧が心のこりを果たしたことを、やり遂げたことになるのか、と自問する。上人が昔やってみたいと思ったことがすでに「やったにひとしい」のではないかと考える。
《それが臨終の際に、思い出され、繰り返される。》
 日常生活のなかでの「往生の際」もある。比叡山で長年修行した長増という僧は厠から消え、行方知れずになった。念珠も経文、持仏も置いて行った。弟子たちが探したが見つからず、死んだと思われた。数十年後、弟子のひとりが伊予の国に赴任、乞食をして回る師に出会った。師が言うには、
《あの日、厠に居る間に、心静かにおぼえたので、世の無常を観じて、この世を棄て仏法の少ない土地へ行って乞食をして命ばかりを助け、ひとえに念仏して往生を思い立ったままに》山を下りた。師は顔を知られていない土地に行くと、また姿を消し、弟子が京に上ってから伊予に戻り、古寺の林の中で往生した。
 ある僧は毎年大晦日の夜中に弟子を阿弥陀仏の使いにさせ、自分宛に「今日のうちにかならず来たれと」という文を届けさせた。僧は泣いて文を読み、また感涙にむせぶ、という一人芝居を演じた。世の人にもそのことは知れ渡った。僧は国守に極楽の迎えを得る儀式「迎講」を願い出た。国守はこれを受け、京から楽人を呼びよせた。僧が続けてきたヲコ(烏滸、愚かなこと)の沙汰がありがたい儀式として認められた。その儀式の中、僧は往生した。
 聖人たちの往生話を紹介しながら、突然古井の現在の日記が登場する。原稿の手直し、競馬場、旅の宿など、古典の世界と古井の日常生活がつながる。
(平野)
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