■ 中井久夫 『戦争と平和 ある観察』 人文書院 2300円+税
精神科医、神戸大学名誉教授、甲南大学名誉教授、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構顧問。神戸在住。
2015年は戦後70年、阪神淡路大震災20年にあたる。幼少時の戦争体験と震災時(神戸大学医学部精神科部長)の記憶を語る。「突然生活を壊滅」させるという意味で、中井のなかでは戦争と災害は結びつく。
目次
Ⅰ 戦争と平和 ある観察 戦争と個人史 私の戦争体験
対談 中井家に流れる遺伝子 ×加藤陽子
Ⅱ
災害を語る 災害対応の文化
対談 大震災・きのう・きょう 助け合いの記憶は「含み資産」 ×島田誠
「戦争と平和」は2005年発表(『埋葬と亡霊――トラウマ概念の再吟味』人文書院、『樹をみつめて』みすず書房に収録)。
《人類がまだ埋葬していないものの代表は戦争である。その亡霊は白昼横行しているように見える。》
精神医学者の立場から、また「戦中派」として、戦争と平和について考察する。なぜ、戦争をするのか、平和は永続しないのか、個人個人が戦争に賛成するのか、残酷な行為ができるのか、戦争反対は難しいのか……。
《戦争を知るものが引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない。》
中井は軍人の例を挙げるが、私たちは引退した保守政治家たちの平和発言を目にする。
《戦争と平和というが、両者は決して対称的概念ではない。前者は進行してゆく「過程」であり、平和はゆらぎを持つが「状態」である。
戦争は有限期間の「過程」である。始まりがあり終わりがある。多くの問題は単純化して勝敗にいかに寄与するかという一点に収斂してゆく。戦争は語りやすく、新聞の紙面一つでも作りやすい。戦争の語りは叙事詩的になりうる。(中略)戦争が「過程」であるのに対して平和は無際限に続く有為転変の「状態」である。だから、非常にわかりにくく、目にみえにくく、心に訴える力が弱い。(後略)》
戦争に向う言葉は「単純明快」で「簡単な論理構築」。
《人間の奥深いところ、いや人間以前の生命感覚にさえ訴える。誇りであり、万能感であり、覚悟である。これらは多くの者がふだん持ちたくて持てないものである。戦争に反対してこの高揚を損なう者への怒りが生まれ、被害感さえ生じる。仮想された敵に「あなどられている」「なめられている」「相手は増長しっ放しである」の合唱が起こり、反対者は臆病者、卑怯者呼ばわりされる。戦争に反対する者の動機が疑われ、疑われるだけならまだしも、何かの陰謀、他国の廻し者ではないかと疑惑が人心に訴える力を持つようになる。》
これは現在の「安全保障法案」賛同者やネット言論のことではない。過去の戦争準備期間に起こっていたこと。
《さらに、「平和」さえ戦争準備に導く言論に取り込まれる。すなわち第一次大戦のスローガンは「戦争をなくするための戦争」であり、日中戦争では「東洋永遠の平和」であった。》
平和を維持していく努力は大きなエネルギーが要るわりには地味。戦争が終わったしばらくの間は「珠玉」のように思われるが、平和の期間が長く続くと「平和ボケ」と言われてしまう。
戦争指導者層の論理、戦争の堕落、非対称戦争、戦争の後始末など、戦争史を分析する。
《私は戦争という人類史以来の人災の一端でも何とか理解しようと努めたつもりである。》
(平野)
■ 『海の本屋のはなし』あれこれ
9月2日 19時より ワールドエンズ・ガーデン「読書感想会」
喜久屋書店・市岡さん、文進堂書店・逢坂さん、元リブロ・辻山さんを中心に、参加の皆さんが拙著の感想を語ってくださいます。私の予想では、「おまえ、甘いんじゃー!」と吊るし上げられるでしょう。覚悟して出席いたします。
元町商店街WEB更新。http://www.kobe-motomachi.or.jp/
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