■ 高見順 『わが胸の底のここには』
講談社文芸文庫 1900円+税
高見順(1907年~1965年)小説家、詩人。
今年は没後50年。
こちらを。
「高見順という時代 没後50年」 日本近代文学館
高見のプロフィールも詳しく解説。
http://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/cat-exh_current/6465/
本書は自伝的作品、出生から府立一中時代までを書く。1946年から47年『新潮』、続いて『展望』『文体』に発表。出生の秘密、母のしつけと期待、出生についての世間の仕打ちなど、幼い頃から憎んできた過去を「剔抉」する。
40歳を目前にして、高見は心身に「老衰の翳」を感じはじめる。戦争が終わるまで生き延びることができたら、「人生への借財というべき自らの文学上の制作」を成しとげたいと願っていた。高見は、「生きたい」「情熱の火を掻き立てたい」「老衰から救われたい」と思う。
《そのために、私は己れを語ろうと決意した。私は何者だろう? 私はどんな人間だったろう?》
高見はしばらく生い立ちを書いて、読み返す。
《 わが胸の底のここには 言ひがたき秘密住めり
この藤村の詩の一節を、いわば無責任にその一節だけ取って、そしてそれをややともするとひるもうとしたがる自分を励まし叱咜するところの言葉として秘かに口ずさみながら、私はできたらそっと隠しておきたい、――他人にいうより寧ろ自分に対して(!)隠しておきたいわが秘密を、自分の気持ちとして容赦なく、苛酷に、発いてきた。宛かもわが手で開腹手術を施すような悲痛な決心で、(私は自分でそう考えた。)わが身を剔抉した。(後略)》
高見は自問する。「苦痛」に陶酔してしまっていないか、「露悪癖」ではないか、「書く」ことが目的になっているのではないか、これこそ「老衰」ではないか。
《私のも亦、この一種の老衰現象ではなかったか。羞恥に敏感だったという私の姿を書きながら、私はかかる現象に対しての羞恥を喪失していた。》
高見はさらに読み返して、羞恥と考えていたものが、「羞恥というより一種の虚栄心」だったと気づく。
《だが私は断じて、回顧の歩みを(剔抉の筆を)進ませねばならぬ。どうあっても進ませねばならぬということを、再び感じ出した。》
文学者として自分を厳しく戒めて書いている。まさに身を切り刻んで。
(平野)