■ 『ほんまに』〈陳舜臣〉(3)
中島俊郎 「活字のごちそう――陳舜臣と光村利藻」
甲南大学文学部教授。愛読する舜臣著作は『神戸というまち』(1965年至誠堂、81年『神戸ものがたり』平凡社。98年平凡社ライブラリー版で阪神淡路大震災後の文章を加えた)。
《改訂を経ながらも、先生の眼がそそぐ神戸の姿は一貫していた。神戸気質を「軽佻浮薄な野次馬根性」で「功利的にすぎる」というような見方である。また「悪趣味である。伝統のブレーキがないから、野放図になりやすい」と神戸人には少々厳しい観察がくだされる。(中略)でも、限りない愛情に裏づけられた言葉であるのをどの読者も行間からすぐに感知し、「そのとおり」とうなずいてしまう。》
舜臣はその「軽佻浮薄な精神を体現」した神戸人の一人に光村利藻(1877~1955)を挙げる。父親の富を受け継いだが、海軍好きの遊び人。当時のジャーナリストたちが批判している。一方、印刷業では草分け的存在であるし、日本で最初に映画を撮影し、「智徳会雑誌」という豪華な文芸雑誌(1894創刊、幸田露伴、樋口一葉、泉鏡花、尾崎紅葉らが参加)を出版した。
教授は古書店で『光村利藻伝』を入手、追悼録だが利藻の文章もある。
《……これがまた秀逸な回顧談となっていて、神戸の町並み、日常生活の空気まで彷彿とさせる。放蕩者の常で、とりわけ食についてはうるさい。》
舞子で取れる「鳴門鯛」、明石のたこの卵「海藤花」、「あなごの徳利蒸し」、「醸造家が自家用に造る酒」などを並べる。
《きわめつけは神戸牛である――「貴島という洋食店あり、その主人の料理するビフテキの味今も忘れず。その後数十年いまだそれ以上のビフテキを味わいしことなし」と書きつけている。》
教授はこの一文に、食材を大切に扱う調理人の姿と食材の味を感じとる。
特集では、他に、舜臣の言語世界、引っ越し歴についての文章あり。陳舜臣アジア文藝館の前田さんが資料を提供くださいました。感謝申し上げます。
(平野)
「朝日新聞」12月21日大阪版夕刊で取り上げていただきました。ありがとうございます。取材は17号編集中で、書影はバックナンバーです。
社会面なのでまわりの記事は、「覚醒剤密売」に「毒素無届け運搬」「無免許バイク」。「春日大社本殿屋根葺き替え」が明るいニュース。